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2019年07月28日20:22

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「死」についての教育

子どもに「死ぬってどういうこと?」と聞かれたら
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=4783013

学生時代に「比較宗教学」の時間に教育学部の学生が講師の許可を得て「子どもに死についてを教える教育についてのアンケート」をとっていて、協力したのを覚えております。

私の個人的な経験と意見で述べるならば、私が初めて「死」を知ったのは幼稚園の時に私を溺愛してくれた祖父が亡くなった時です。
早朝に母が私を起こし「おじいちゃんに、最後の挨拶をしましょう」と言われて床の間に行くと、布団に横たわり、動かなくなった祖父に声をかけると「反応」がなかった。そして「死に水」をとった。

火葬が終わりいわゆる「箱」に入ってしまった時に祖母が「おじいちゃん、こんなに小さくなったんだよ・・・」と言ってガックリとした姿は生涯忘れることはないだろう。

今は少子高齢化により、核家族化が進むなかにおいて、私のような経験をする子どもは少なくなってきているのでは?と思う。

どんな時代であれ、「頭で教えること」よりも「心で教えること」が大切なように思う。

話はかなり飛躍するけれど「オウム真理教」による「地下鉄サリン事件」に代表される「一部の暴徒」となった「教団による悲劇」は「心の教育」よりも「頭での教育」を優先させてしまった「戦後教育の悲劇」だと思う。

あの「地下鉄サリン事件」の首謀者たる教祖の「犯した罪」は確かに大き過ぎた。犠牲者やご遺族、そして、今なお「後遺症」に悩まされている方々を思うと許せないし、こうして「はっきりと名前を出すことさえも個人的には大嫌いな存在」だ。

「あの教祖」を決して庇うつもりなどないが「あの教祖」もまた「戦後の心に欠いた教育」により造られた「犠牲者」のように思える。

瀬戸内寂聴さんが「オウム真理教は、日本が戦後50年かけてできた巨大ながん細胞だ。時間は要するけれど切除しないと、更なる悲劇が予想される」と言っていた言葉がすべてを象徴しているように思える。

って、話がかなり大きくずれてしまいましたが・・・

何が言いたいのかと言えば「死は頭で教えるものではない、心で教えること」だと言いたい。
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