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2019年07月22日13:07

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強いのはパラノイア(研ぎ澄まされていない奴隷道徳)

宮迫がさんまに「助けて下さい」後輩芸人の処遇懇願
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5716032

何もかも、なんのエビデンスもないけど。今は人類史上で最も言葉が氾濫している時代だと思いますが。このネットというメディアによって弱肉強食の理に少し変化が生じたように思いませんか?キリスト教が奴隷道徳だとあばいてみせたのはニーチェですが。なんというか宗教性のない奴隷道徳とでもいうような…「正しさ」がはばを効かせてきているように感じます。その正体は゛またもや゛新たなメディアと結びついた「パラノイア(偏執狂)」だと思うのですが、歴史は繰り返しますからね。

キリスト教が爆発的に広まったのは印刷技術と結びついたからだと言われていますね。それまでキリスト教を延命させていた人はどんな人でしょう?ぼくはパラノイア的性格の人だと思います。そして数少なかったパラノイアのもとからが聖書が時空間を飛び越えて多くの人に教えを広めました。ひるがえって現在、説明不要でネットに接続された多くのパラノイアたち。そのパラノイアたちによって歪な「正しさ」がはばを効かせはじめていて、多角的なシビアさが求められるようになり、ひと昔前より自由な気風というモノがみるみる消えていってしまっています。

でもぼくが思うパラノイアには、もう少し説明が必要です。上手くは語れませんが…現在のパラノイアは観光客のように無責任です。
どういうことか?ネットの広まりにより世界中の誰もが言葉を発することが出来るようになったことによって一番変わったのは…声なき声が聞こえるようになったことだと思います。実際の社会生活において前に出て人をひっぱるような人ではなくて、普段はおとなしくて別の人の後ろに隠れているような人の声が、前に出る人の声と同等になったことが一番、世界を変えたのだと思います。

そして、多くの人の誰しもが心の傷や、引っ掛かりを抱えながら生きているものですよね。そこで時間が留まってしまった、負の経験を抱えているものだと思うのですが。その一人一人の小さな心のひっかかりが、一人一人のこだわりを生み出し。それが一人一人の小さな「正しさ」になっていくのだとぼくは考えているわけです。
もうわかると思いますが現在のパラノイアは、ぼくたち一人一人だと思っています。

それから言葉がネットではばを効かせる限りは、こういった現象はなくならないだろうなって思います。なぜなら「正しさ」を伝えるのは言葉だから、言葉がはばを効かせれば「正しさ」がはばを効かせるようになってしまうと考えるからです。
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