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2019年07月21日06:58

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同じ人間

■京アニ火災「犯人の弁護しないで」の声あがる…なぜ弁護士は「極悪人」でも助けるの?
(弁護士ドットコム - 07月20日 09:41)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=5713940


 犯罪者を憎むのは当然の感情だと思う。ましてやこんなひどいものになればなおさら。

 連日犯人をののしるコメントは後を絶たず、この記事では、「弁護する必要もない。」という意見も出て来た。

 第三者としてしかるべき距離を保って考察の余力を保ち続けることは社会の深さに通じると思う。一人一人の人間が人生や社会をどんなふうにとらえて暮らすのかということは集まった時にわかる。青葉のような者が育つ背景に社会があることは動かせない現実で、社会は一人一人が集まった姿。悪い事件が起こった時に悪い方を指さして糾弾するだけの人が増えれば増えるほど今回の京アニや秋葉原の加藤ように孤独で徹底的にこじれて悪いものをためこんで醸成した人間は発生しやすくなる。そして事件を起こす前に社会の中で救われる可能性は少なくなると思う。

 この記事のように弁護する必要などないと考える人は自分の暮らしの中にいる青葉や加藤と同じように鬱屈した孤独な様子の暗い人間を見るたびに自分から遠ざけようとするのではないだろうか。また、そういう人が身の回りに居ないかどうかといった目を発達させるのではないのか。


 人間はみんな可能性としては良くも悪くもなる存在として同じ構造を持って生きている。イチローはどうしてイチローになったのか、青葉はどうして青葉になったのか、そのことを自分に照らして考えることはある程度の年齢になった人間であれば誰にでも出来る。


 人生は喜んだり楽しんだりするためもので成功や勝利が人生の目的になっている人たちは多いのか少ないのか。怒りや哀しみ失敗や敗北を嫌悪して遠ざける認めない許さない関わらない。そういう利益至上主義御喜楽主義の人達が中心に立って明るい楽しい雰囲気を世の中に広げて行く。人間は喜怒哀楽だということを大人なら理解して暮らすべきだと常々思うが笑っていればいいという笑顔至上主義の人はいる。これも社会のゆがみだと思う。おとなしかったり怒ったり哀しんだりしている人を排除しがちになる。

 人間は喜怒哀楽でみんな同じ人間。喜と楽を集めようとする人が増えれば残った怒と哀はどこへ行くのか。おとなしい人がそれを受け止めている。


 こんな事件でも弁護士が付くのは当然。どうしてこんなことになってしまったのかを明らかにして青葉の失敗の中に擁護できるものを探すこともあってしかるべき。
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