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2019年07月11日05:41

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【帝國の興亡】― 後編 「ホモ」 を ビジネスにした男 ―

ジャニー喜多川さんへ…所属タレントが追悼【コメント全文まとめ】
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=5700873

前編より

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1972199877&owner_id=980114

ジャニーとメリー姉弟は、かって進駐軍時代は業者としてアゴで使っていた

渡辺晋に頭を下げ、ナベプロ帝國の軒先を借り、ナベプロの

一室を間借りして、またイチから『ショウビジネス』を出直すことになった。


既に世はTV時代。 『 G・S(グループサウンド)時代 』 が到来し、

ナベプロ帝國も最強ストーム・ルーパー『ザ・タイガース』『ザ・テンプターズ』等が

芸能界を席捲。TVに映画にグラビアに傍若無人に蹂躙するかのごとく活躍していた。

ナベプロ帝国も70年代に入り、最盛期を迎えようとしていた。

ジュリーこと沢田研二らの『 ザ・タイガース』、そのライバル格、萩原健一の

『ザ・テンプターズ』を筆頭としたGS軍団。

女性タレント陣も、ザ・ピーナツ、伊東ゆかり、園まり他売れっ子をキラ星の如く揃え、

本丸『クレージーキャッツ』も安泰、その跡を追うようにザ・ドリフターズも大ブレイク中。

映画もTVも雑誌もナベプロのタレント抜きにしては成り立たず、その依存度を

深めていた。年末のレコード大賞も、紅白歌合戦も、正月のかくし芸大会も全て

ナベプロのためにあるようなものだった。


その芸能大帝国の片隅で、ニャニーズ事務所は細々とナベプロのグループサウンズ軍団の

お邪魔にならない程度に、バンドではない歌って踊るニッチで新たな

男性アイドルグループの道を模索していた。

ソレが「 フォーリーブス 』である。

ジャニーズの「太陽のあいつ」という曲のバックダンサーとしてグループを結成。

メンバーは、元々ジャニーズの付き人だった北公次、

3歳から子役で活躍していたマグマ大使でお馴染み江木俊夫、

劇団若草出身でファッションモデルをしていたおりも政夫、

同じく劇団若草出身の永田英二の4人だった。

当時はまだグループ名は無く、「ジャニーズJr.」と名乗っていた。

そう初代ジャニーズJrとは、フォーリーブスのことだったのである。

初期はプロモにかける予算も無く、営業もナベプロが窓口となりGS出演の

オマケであるバーター営業。

メリー喜多川とジャニーさんが自ら

手縫いした手作り衣装だったと云う。

その衣装も当時人気絶頂だったナベプロのGSのマネージャー等から

さんざんバカにされたり嘲られたり、イビられたり、イヂワルをされたものだった。

後年メリー喜多川が自分の娘のミドルネーム・芸名にジュリーを入れたのは

(※現社長 藤島ジュリー景子)

当時雲の上の存在ザ・タイガースのジュリーへの憧れや臥薪嘗胆の

思いがあったからかも知れない。


だが、奢る平家も久しからず。絶頂期を迎えれば当然下り坂も訪れる。

GSブームも去り、ナベプロにも既にビッグネームとなった

森進一、布施明らソロの看板歌手らと高額になったギャラ交渉を巡り

独立ブームが到来した。

好事魔多し、総帥である渡辺晋にもガンが発見され、第一線から退くことになる。

ナベプロは大英帝国の様に女王渡辺美佐と大番頭マネージャー達との集団指導体制に

移行し、帝國から連邦共和制になっていった。

ナベプロは領地を分割するが如く、看板歌手ごとに個人事務所を設立し、

それを傘下におくことで対応した。帝國の緩やかな瓦解の始まりである。



歌手独立の気運と流れは、ジャニーとメリー姉弟にとって良い方に作用した。

ジャニーズ事務所もロシアがモンゴルの頚木から解き放たれるごとく

ナベプロ帝國からの独立が許されたのである。

昭和50年、ジャニーズ事務所はフォーリーブスと新しく獲得した

新御三家の一角・郷ひろみをもって独立。


順風満帆。未来派明るく万事全て上手くゆくと思われた矢先、好事魔多股多し、、

未だ当時若かった?ジャニーさんの悪いクセが出たのだった。

どうやら、ジャニーさん、商品に手を出したみたいだったのだ、、、orzあせあせ(飛び散る汗)

詳しくはまんもちゃんも知らない。

知りたい方は、北公次スキャンダル事件をggrkれたい。

そこそこ売れていたフォーリーブスも、ニッチモサッチモ、ドウニモブルドッグwow!

人気は下降線を辿ることになる。

またその後、折角手塩にかけて育てたの虎の子

郷ひろみも新興勢力バーニングに奪われてしまう。


だが、捨てる神あれば拾う神在り。

TBSドラマ金八先生から、田原俊彦、近藤真彦、野村義男らの

『 たのきんトリオ 』 が大ブレイク!

その後、立て続けに「少年隊」「しぶがき隊』と

ジャニーズ十八番のバックダンサー鮫の歯システムが

確立されてゆく。 昭和における第一次ジャニーズ黄金期である。

だが、問題も多かった。

増長した田原俊彦の独立問題、

近藤真彦と中森明菜リストカット自殺未遂事件等

この頃から、金庫番として経営とギャラ交渉を担っていた

姉・メリー喜多川がタレントに徹底的に甘い弟ジャニーに代わって

強権を振るい出し、事務所の危機を救ってゆく。

郷ひろみの時には煮え湯を飲まされた経験を糧に

離反独立した田原俊彦を共演NG等、事務所の総力を挙げて

芸能界から干した。

また逆に、近藤真彦のスキャンダルに対してマスコミ各社に

徹底的に緘口令を敷き隠蔽。当時人気絶頂だった

中森明菜を芸能界から干してまで自社の近藤を護った。

メリー喜多川はナベプロの女帝渡辺美佐からタレント管理の極意を

学んでいたのだ。

ジャニーズ事務所の両輪 「飴 と 鞭 』 女帝メリー喜多川の誕生だった。

この頃、恋愛厳禁、結婚すら許さない風潮も不文律として出来上がった。

昭和と云う時代は、ジャニーズ事務所にとって、試行錯誤の時代であり

成功と失敗の連続だった。

手塩にかけて育てて折角ブレイクしても、一過性のブームが過ぎれば

卒業したり、自分の道を見つけたりして事務所に定着しない。


だが、平成に入りそれらを全て覆すスーパーグループが誕生する。

そう 「 S M A P 」 である。

平成の三十年間 ジャニーズ事務所は SMAPとともに

全盛期・黄金時代を迎え 突っ走って来たと言っても過言ではない。


ソコから先の話は、アテクシより皆さんの方が詳しいことだろう。

だが、皮肉なことにジャニーズ事務所の集大成・最高傑作ともいうべき

SMAP はジャニー喜多川が育てたモノではない。

彼らを育てたのは、飯島三智 という一マネージャーだった・・・



芸能史に燦然と輝く

昭和の 『 ナベプロ帝国 』

平成の 『 ジャニーズ帝國 』

と並び称される 芸能帝国。

ジャニー と メ リー姉弟 はかって憧れた

ナベプロ をも凌駕する大帝国を築いた。


そして、今 令和の世になり、総帥ジャニー喜多川を失い

帝國も綻びを見せ始め、緩やかに崩壊に向かっている気がするのは

アテクシだけだろうか・・・・





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