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2019年07月08日22:41

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今日は、教主メッセを二つ書きました。

1つは、動画宣言! もう一つはこれ↓

[教主メッセ] この世は単純だ。(読み切り)

本来、この世界は単純だ。  

学問は、今や 仏教の八万宝蔵どころではない豊かさを示しているかのように見える。

でも 八万宝蔵の本質が どこまで現代の情報洪水と異なり、本質のみの論議となりえているのか 今の仏教学では検討しなおされ始めていると思われる。

空の論議が ゼロの概念により抽象化されて 更に漢語のいろいろな解釈が可能な言葉の中でその論議が進んでしまったこと、などによるほとんど空論となっている文献や論議が 膨らんでしまっただけかもしれないのだ。

学問全体にもそれは言えてしまうとことがある。

本当のその豊かさは もう一度 人類の生活の本質の単純さをしっかり意識しなおすところから 組み立てなおしつつ 探りなおすことで生まれてくるものだと思う。


こうしたことの詳しいことは、 別なコミュで書いてゆくことにした。

ともかく、ここで 考えたり、心にとどめてみてほしいのは、

まずは シンプル生活感だ。


衣食住健康、これさへあれば 生きて行ける それらを味わい 大自然を味わい生きて行ける。

健康が害されたら 介護と医療がそれに加わる。

そこに 交易が加われば それが 人生のすべてと言える。


旅とか旅行とか移住という生活も人類はたどってきたわけですが、生活そのものは 単純に 衣食住、健康、 介護・医療、交易(交易の中に現代では金融があるので そこが少し複雑)

以外には何もないと考えるといいと思う。

そしてその上で、そのそれぞれの あるべき内容とか豊かさの世界を追いかけてゆけばいいのだ。


さて、 ここに 生死の死を問題にしてきた宗教と生活ということも加えるなら、

私は、 生が 生来てるうちに深く理解されない限り、 死を考えても事は複雑になるだけであり そこには豊かさでは無く 心の分裂しか生まないという、考えを持っているのだ。

死を考える価値は、生を考える起点としてのみ価値があり意味があるという結論だ。

この考えも 別なコミュで詳しくは書いてゆこう。

ともかく、 私たちの人生は、本来、けして複雑怪奇なものではなく シンプル単純な 生きる技の世界なのだ。

それを踏まえて しっかりと大地に足を踏みしめ、その上で豊かさを学問にも求めるなら、 私たちの心は 分裂したりはしない。

私達の幸福は 破壊されたりしない。

私達の愛のぬくもりは 壊されない。

下賤芸能教団は、この大地の単純シンプルなぬくもりから すべて出発してゆく、

けれども、 だからこそ、おもいっきり あらゆるジャンル、あらゆるカテゴリーをも その本質を求めて論議できたりするのだ。 楽しめたりするのだ。 有意義に再創造できたりするのだ。

そんなふうに、 すべての人が 生きなおせる場、それが

下賤芸能教団という宗教の広場なのだ。

まだ トピの方は、考えているピジョンの万分の一でしかない。

でも、その豊かさのビジョンは こうして一つ一つ奥が深い形であり、 統一的でもあり、  じっくり  ミクシィコミュとの連動系を求めつつ 進めていきたいため    今の今は、考えることの方が多くて進んでいない。

ある準備が進めば 一気に増え始める時が来ると思う。

待っていてほしい。

ここ、この場こそ、 もっともシンプルで豊かになる。

その日を夢見て、進んでゆこう( `ー´)ノ^^。

今日は以上です。

▲▲▲

 ツイッターの方も 進めています↓

URL:https://twitter.com/monoiubuyouka



◎半世紀以上 心の表現としての舞踊を追求してきて、どんな誰をも癒す舞踊、癒されるならどんな荒くれ者も穏やかに人生をやり直せるはずとの確信から、実際の芸能による宗教を作ることにしました。 人間を信じることで心の中軸を得る宗教です。

この後に 下賤芸能教団のURLを貼り付ける形のツイートですが、こちらにはURLは貼りつきません?。

◎半世紀以上 心の表現としての舞踊を追求してきて、 そこに歌とダンスと絵の3つのジャンルを中心とした、あらゆる芸能の大変革のビジョンが生まれました。 言葉を越えた静かな幸せの境地こそ あらゆる芸能の中核であるべきだし、芸能パワーはそこにあるはず

◎半世紀以上、心の表現としての舞踊を追求してきた者として、この一芸は万芸の本質と通じるところがあるはと知り、それを どんな個人も人生をやり直せる道として、また混迷の社会を改革する基軸として生かすべき責任を感じるところとなりました。

◎私は、半世紀以も 心の表現としての舞踊を、時には血を吐くような思いで追及してきたのですが、根源にあったのは静かな幸せの境地でした。 その癒しの舞踊を生かすべく、 どんなあらくれものの心も無意識から変えようと、芸能革命を始めたのです。

◎私は心の表現としての舞踊家です。その根幹は静かな幸せの境地、それ抜きに 無を悟ったとか言っても 本当かどうかも解らないですし、 実際に荒くれ者の心の奥を癒せるのでしょうか 人生をやり直す力になれるのでしょうか。 社会を変えられるでしょうか

◎もし、心の根幹にほんとうに幸せの境地を持っているのであれば それは歌と踊りと絵に表現できるはずですし、 そのように実際に表現してこそ 人は癒されるはず。 癒された心からの愛には ウソや偽善の入り込む余地はない。 そこから社会を変革したい。

◎幸せの境地は、歌と踊りと絵の表現で伝えられる。 受け取る側の能力というものもあっても 力があれば 必ず何かが伝わり、 見聞きするで 幸せと そこから生まれる嘘の全くない愛と 社会変革の力が生まれるはず。 私は立ち上がってみた。

◎幸せの境地の根源は 大自然や 音楽や、愛のある生活だろう。 がそこにもう一つ その血流の心臓のような役割をするのが 本来の芸能なのだ。 歌と踊りと絵を中心とした 芸能革命の基軸をここに求める。

◎歌や踊りや絵の世界は、まずは感動する心こそ うまい下手を超えて求めるべきだ。 感動する心の源泉を求めるべきだ。 大自然や 音楽や 愛に。 するとそこに 感動の心の生き生きした循環が生まれる。 それは芸能全体を変革するリズムとなる。

◎今、芸能を変えることによって 芸能の深みによって、人生をやり直す力を得られる 人間教(人間の感性の中に信仰対象を、つまり全身で県境になれる対象を求める宗教)が 始まった。 始まったばかりですが 覗いてみてください。

◎人間の感性の中に信仰対象、つまり全身全霊で謙虚な気持ちになれる対象を求める宗教が始まった。 まだ始まったばかりですが、中を覗いておいてみてください。 感動したり共感したりするところがあれば、リツイート、拡散お願いいたします。

◎私は、半世紀以上も 心の舞踊の求道をしてきた者ですが、 主に肉体労働をして生きてきた、70歳代なのですが、今も設備業につとめつつ、 ある静かな幸せの境地の踊りから 芸能革命と、シンプル生活革命のための宗教を作りました。覗いておいてみてください。

◎この芸能革命の道は、あらゆる芸能ジャンルが含まれるが その根源はすべて 静かな幸せの境地とシンプル生活感だ。 それはまだ 始まったばかりですがビジョンは広大。 中を覗いてみて、 感動したり共感するところがあれば 応援してください。

◎この芸能革命の道には、あらゆる芸能ジャンルの革命ビジョンがある。 その根源は静かな幸せの境地と、シンプル生活感だが、 打楽器革命あり、カラオケ革命あり、 ダンス革命あり・・・あらゆる芸能の革命がそこに描かれている。  その兆しを見た人は応援してほしい。

◎日本の太古には一万年以上もの 争いの跡が見つからない世界があった。 本来の神道が求めゆく世界だ。 そこには静かな幸せの境地も 大地に足をつけたシンプル生活感もあり、 歌と踊りのあらゆるリズムと舞の世界もあり、芸能革命となりゆく根源のすべてがあった。


以上です。  

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