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2019年07月05日23:10

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死んだ人はおしまい

■暴行、現金要求などいじめ=担任、告発メモ廃棄−中3転落死
(時事通信社 - 07月05日 20:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5693980


 記事や世論が問う、いわゆる加害者に当たる人たちの罪。自殺者をめぐる関係者間においてこの自殺の背景に当たる関係性と責任のありかを見つけ出したい欲望。人が一人自殺していることの遠因を事細かに問い詰めたいと考えられているもの。みんなこのことを真実として突き止めたいと思っている。こういう人はおそらく多いのだと思う。これが今の主流なんだと言っていい。誰かが自殺した時にこんな主流が世間に突如としてはびこるのが今という世の中。

 誰かが自殺した後にこういうことに寄ってたかる意識を間違っているとは断じて思わないが、これは自殺した人が生きている間にやるべきこと。その間にこのことについて行動を起こさなかった者達は人が一人死んだことで初めて発言権を得た気になった。記事を見て同調を覚える直接関係無い一般市民達も同類。

 何かがおかしいのだ。

 自殺者も、人が自殺した後になって騒ぎ出す遺族をはじめとする他の人々も、生きている間にやるべきことが出来ないまま自殺という結果に触発されてことが展開する。

 死んだ人はすでに終わっている。

 そして、死んだ人に現実的に関わっていた人々は死んだ人を生き返らすことは出来ない。死んで初めてその原因を探り始めるのはおかしいことだと思う。

 自殺した人が社会に残したものは、生きることを投げ出した結果。本当は生きて自分がやるべきだったことを身近な関係者に丸投げした結果。こじれたものはそのままになっていて、やるべきことをやらないで命を絶つ。自殺というのは社会に様々な遺恨を残す。そして永遠にその遺恨が解決することは無いのだ。


 生命を投げ出して、自分の人生を投げ出して、みんなを裏切って、終わって行った者に未来はもうどこにも無い。死んだんだからもうそれでおしまい。未来を捨ててしまったのだから。社会を良くしようとしなかったこと、つまりそれは自分の問題を解決しようと努力しなかったこと。それらを全て残された関係者に丸投げして居なくなる行為は罪そのもの。自殺なんてするもんじゃない。


 自殺した友人の恨みを晴らすことは遺族をはじめ友達だと自覚する人々にとっては重要なことかもしれない。それはそれで気のすむまでやったらいいと思う。しかしそのこととは全くの別物として社会に暮らす同時代人の我々は自殺と言う全く無責任な大きな罪についてこの恨みとは切り離して糾弾しなければ生き物として失格なんだろうと強く思う。


 死んだ人はどうあがいてもおしまい。後になって何かが出来たっておしまい。 自殺は罪。


 暮らしていく中で問題が起きたら抗わなければならない。事なきを良しとする美しくて人に迷惑をかけないことに夢中になってばかりいると抗う姿かたちも抑圧されて行く。もののわからない若者幼いものほど喧嘩をする姿勢は重要だと思う。きれいごとで丸く収まるほど人生は簡単じゃないはず。
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