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2019年07月05日17:11

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部活体罰ではないけれど‥

■部活体罰、成人後もトラウマに 暴力再生産の根深い構図
(朝日新聞デジタル - 07月03日 07:08)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5689696

高校受験間近になった時期に数学ができない生徒だけが「強制的」に狭い「指導室?」のような所で数学の勉強をさせられていた。

その時の学年副主任が最悪だった。
私の答案を見ながら「あなたには、何から教えていいのかが、わからない」と溜息をつきながら、一言、言った。それ以来、自分で溜息をつく時でさえ、この出来事を思い出し、自身で溜息をつきながら「自分はダメな人間だ」と思うようになった。

この学年副主任による「私への暴言」はこれだけではない。「高校はおまえのようなバカが行くところではない。行かれた先の先生がかわいそうだ」
そして、後に「特殊養護学校」に行った生徒と私だけが残されると「さぁ!最下位争い!ついに、きのこちゃんに負けたよ!」

そして、極めつけに授業中に父が危篤になり早退した生徒がいた。その生徒が帰った直後「あいつの親父、危篤だって、危篤の意味知っている?死ぬんだよ」
私だったら、自分は担任でもないのだから他の生徒たちへ自ら「告知」はしない。あえて「告知」するならば「お父様が大変なご様子です。今度、教室に戻って来たら、みなさん、気持ちを察して接しましょう」ぐらいしか言わないだろう。

とにかく、この「指導室?」での教師達は「やりたい放題」だった。一番美人の女の子を選びコーヒーを入れさせ、自分達で作成したパソコンゲームで遊んでいた。公立校だったから、この教師たちの給料やパソコンに使われたお金は元々は「税金」に他ならないのかと思うと、情けない限り。

学年副主任は、担任が「きのこちゃんは、数学はよくないけど、国語はがんばっている」と言えば、勝手に私の成績表をだし「うわ!本当だ!きのこちゃん、数学と国語の頭が別なんじゃないか!」
当たり前だ「右脳と左脳のちがい」があるのだから。

後に私には「理系、特に図形や面積、空間把握力が少し欠けていること」が成人してから医療機関においての然るべき検査を通じて判明した。

職業訓練校に行くことを決め、近所の公文に通うようになった。私の「母校であるあの学年副主任のいる学校」は目の前だったので、当然ながら、公文の講師はこの学年副主任のことをご存知だった。「厳しい先生だとは聞いていたけれど、きのこさん、そんなひどい事を言われて、辛かったでしょう?でも、あの先生は、奥様に先立たれて、今は1人で暮らしている、と聞きましたよ」
この一言で、救われた。法律による裁きがなくても「天罰」は存在するのだ、と思った。

「人間性に問題のある輩は教師と名乗る資格はない」こんな法律が制定されるだけではなく「例外なく執行されること」を望む。
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