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2019年07月04日21:01

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今日の夕食は「冷麺」🍜うんまい。美智子妃殿下ご機嫌斜め。_(_^_)_

7月4日

自然な信仰

 男にも、女にも、子供にも、一人ひとりのおおもとの深いところに神の意図がある。それは災難や、見せかけの華やかさや、他のものへの崇拝などに覆われてよく分からなくなっているかもしれないが、何かの形を取って必ずそこにある。自分を超えた偉大な力への信仰と、その力によって人生に現れる奇跡は、人類が始まってからずっとあったのだ。

アルコホーリクス・アノニマス 80-81ページ

 国中のAAの会場で目に見えない神の力が働いているのを私は目にした。回復の奇跡はどこにでも確かにある。神はこの部屋の中にも、私の心の中にも存在していると、今の私は信じている。もと不可知論者の私にとって、今信仰は、呼吸をし、食事をし、眠ることと同じように自然なものになっている。12のステップに助けられ、自分の生き方を多くの面から変えている。でも、何と言っても、ハイヤー・パワーを得たことが最高の力になっている。

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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行

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7月4日

 アルコホーリクス・アノニマスには個人の利は存在しない。貪欲と獲得の居場所はない。会費も参加費もない。自発的な献金と自発的な自分の提供があるだけである。AAが望んでいることのすべては今日一日のソブラエティであり、新生の絶えることのない息づかいである。個人としてこの責任を果たすとき、人として尊厳に満ちた生き方となるのだ。他の人々が私に与えてくれたように、私も他の人々に与えていく人として生きることになる。この正気に満ちた素晴らしい生き方は、相互扶助と12ステップのプログラムに生きること、そして神の恵みによって築き上げられる。

 打算なしに、私はAAのメンバーとしての責任を果たしているか?

黙想

 宗教の世界で、回心と呼ばれている言葉の内容は、自分の必要な時の友として神を発見したに過ぎない場合が多い。宗教と呼ばれているものは、自分の人生の中で神の力の援助と偉大さの体験を語っているだけのものが多い。神聖なるものと呼ばれているものは、神が私の友として私を招いておられる真理であり、私の応答とは別であることが多い。神が私の友となられるとき、私は他の人と友となる。私はこの経験から本物の人間関係を体験し、偉大な友である神がどのような神であるかを心に描くことができる。神は疲れることがなく、ご自分を与えることのみであり、すべてに勝って偉大であり、不可能を可能とされる友である。この偉大な友のみ手に私の手をつなぐことができる。望むなら手をつなぐことができるのだ。

祈り

 私が常に必要とする偉大な友としてあなたを求めさせてください。あなたと共に歩ませてください。

ホームカミング社 「一日二十四時間」より


※私の独り言※ 信仰があるなしにかかわらず、私たちはAAの中で信仰を見ることがあります。また、信仰とは言わないまでも、奇跡としか言い様のないものを見ることもあります。どちらとも言わないけれど、回心が起こったことを感じ取ることもあるでしょう。それは特に義務的にではなく、AAが好きになって、プログラムをやろうとしている人に起こることが多いようです。

確かにミーティングに行くだけでもあれほど止まったことのないお酒が止まります。これは奇跡でしょう。でも、それではもらいっぱなしになってしまっているのではないでしょうか。AAとは、お互いに与え合うことから始まったというビルとボブとの経験が大本になっていると思うのです。AAが自分に対して何をしてくれるのか、だけではなく、自分はAAに対して何を奉仕できるのかも考える必要があります。この双方を考えられるようになること、それこそが大きな奇跡なのでしょう。そんなことなど思ったこともないはずですから。そしてそう思える自分がたまらなく愛おしくなるはずです。これこそが、今まで夢にも見たことのない奇跡が起こった、その瞬間に自分が立ち会っているということなのです。



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山口、AA宇部グループ  Mike(マイク)

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