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2019年06月30日12:09

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認知症対策の一環で、

■「心の病」労災請求、6年連続最多 セクハラに関心高く
(朝日新聞デジタル - 06月28日 17:59)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5683809

自治体は、老人の囲い込み企画をいろいろこころみてますが。
認知症前段階の軽度認知障害(MCI)への認識が甘く、いわゆる「正論おじさん」みたいな「お騒がせ爺婆」が、いろいろ活動の足を引っ張っています。

なかには、DVじみた支離滅裂なセクハラ・パワハラで、マウンティングする者もいて。

定年・隠居以前に、社会的訓練が出来てないと、老後生活の中でも孤立する結末があるようです。

一方、成育歴でDVを経験した高齢者は、「怒鳴られるのは、慣れてるから」とかいって、そうした厄介者を容認することで、そうしたパワハラ環境を維持します。

ワタシ今74歳。
都心近くの住宅街の街中で経験している、いずれも区のお声かかりで運営されている「老人の集まり」4つ組織で、規模の違いの大小や深刻度の違いはあっても、必ず経験してしまう問題です。

こうしたアクシデントの発生率は、公共機関が胴元の場合は、「義務教育段階の学校で起きてるイジメの発生率に近いのかな?」と、漠然と考えていますが。

今後、自治体の認知症対策が街中で展開するうえでは、特に地縁が希薄な都会での活動では、核になる人物への教育も含めて、さらにいろいろな工夫が必要になりそうです。

*現実には、こうした集まりを活用する幼児を抱えた専業主婦もいるし。
わざわざ遠い他区からやってくる「引きこもり爺さん」もいたりして、若い主婦層に「キモ悪がられる」事態も起きてます。
参加者各自のニーズやバックボーンが、多様なので、中核になる人物の社交性やキャパシティー次第で、活動が大きく変わってくるのが実際で。
高齢者も、タレント性が求められそうです。

ただタレント性といっても、一時の評判が、必ずしもその後の集客性に繋がるわけでもなく。

参加者の「協働の創造の場」として、新しい「民主主義の学校」が生まれることが理想ですが。

すでに「共に老いる場」として10年間、こうした活動を積み上げてきた老婆が、自身の高齢化と先鋭化により、同調圧力にだけ頼った八方美人型マネジメントが裏目に出て、活動の場を狭めている痛々しい例もあります。

経年が、必ずしも「場の成熟」につながらないことが、「高齢者の集会活動」には付きまとうわけで。


*華々しく「100年生きる」社会と、政府やマスゴミが打ち上げても、その実態をどうとらえ、どんなパラダイムを描くかは、「2000万円必要」論も含めて、まだまだ未知数です。


このメモは、希薄化する都会での人間関係の中で、「ゆるやかな相互交流」の在り方模索ノートの一端です。


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