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2019年06月27日21:52

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ラストパワーホール

■プロレスラー長州力さん引退試合 全国の映画館で中継も
(朝日新聞デジタル - 06月26日 22:58)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5680885

『有田と週刊プロレスと』シーズン4があるなら、是非とりあげてほしい話題です。
そもそも長州力は在日コリアンであるところからスタートし、高校のレスリング部で頭角を現したのち、専修大学に進学。ミュンヘン五輪ではレスリング韓国代表として出場。その才能を見込まれ、新日本プロレスにスカウトをうけ、日大講堂(現在の両国国技館)でデビューする。しかし、その後は鳴かず飛ばずの日々が続き、中堅レスラーとして燻る。そして、あるタッグマッチで先輩の藤波辰爾に噛みつき、いわゆる「かませ犬発言」で注目を集める。やがて、長州を中心にマサ斎藤 アニマル浜口 寺西勇 キラーカーン 小林邦昭らが集まり、「維新軍」を結成。新日本本隊と抗争を繰り広げ、特にライバル藤波辰爾との一連のシングルマッチは「名勝負数え唄」として絶大な人気を博した。
しかし、猪木の副業 アントンハイセルへの資金流用疑惑に端を発した社内クーデターとテレビ朝日幹部の裁定によるクーデター失敗により、拠り所を無くした大塚直樹営業部長(当時)とともに新日本を離脱 ジャパンプロレスとしてライバル団体の全日本プロレスに参戦する。全日本では天龍源一郎との運命的な出会いとジャンボ鶴田との60分フルタイムドローという伝説の試合を残しながらも、ジャパンプロレス内部のトラブルと猪木の引き抜きにより、新日本に戻ることになる。新日本復帰後には同じく出戻りの前田日明 高田延彦 藤原喜明らのUWF勢と共闘 抗争を繰り返し、「前田日明顔面蹴撃事件」や「TPG(たけしプロレス軍団)両国国技館暴動事件」など、話題の中心にあった。
90年代 猪木の政界進出による坂口征二の社長就任 それと同じくして現場責任者に就任。闘魂三銃士をメインにしたマッチメイクで新日本黄金時代を築く。この時期に一度引退。しかし、大仁田厚の執拗な復帰要求と参戦要求に、現役復帰を決断。同時期、以前から確執の絶えなかった橋本真也の解雇、そして「コラコラ問答」、猪木の現場介入による現場責任者解任
居場所を失った長州はスポンサーを得て、新団体「WJプロレス」(ワールドジャパンプロレス)を設立。しかし、潤沢な資金を持っていたにもかかわらず、放漫経営によりすぐに崩壊 恩師マサ斎藤や愛弟子佐々木健介とは絶縁状態に。
しかし、残留していた石井智宏らを中心にリキプロを旗揚げ
新日本への復帰や他団体への参戦を経て、「肉体的な限界」を理由に引退したそうです
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