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2019年06月15日06:03

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「光となれ!」、「光となるな!」

「『光となれ!』、『光となるな!』」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20022 (写真入り記事)

聖書の中には、いくつか矛盾と思える教えがあります。その一つが「光」に関してです。

「あなたがた(イエスの弟子・説教を聞く聴衆)は、世界の光です。」(マタイ5:14)

「わたし(イエス・キリスト)は、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)

もちろん矛盾はありません。

聖書は、私たち人間に「光となるな!」と教えます。

解釈を誤まると、クリスチャンは、自らが「光」となろうとがんばってしまいます。

聖書が教える、「あなたがたは、世界の光です。」という言葉の真意は、「わたしは、世の光です。」といわれた「キリストの光」を輝かす者となれ!という意味です。

それは、太陽と月の関係に似ています。

キリストの光は、太陽の光のように、自ら発光する光であり、私たちの光は、月の光のように、太陽の光を反射させて輝く光です。

解釈を間違えると、太陽の光のように自らの光を放つ努力をするようになり、その異彩は、キリストの光を隠してしまうことさえ起こってしまいます。

神に大きく用いられ、大規模な働きをする牧師や伝道者を特別視する人が居ます。

�)椰佑眤梢佑癲峺�」と認識。
�∨椰佑枠歡蠅靴討癲�他人が「光」と認識。

もし�,凌佑�居たら困ったものです。しかし、�△任癲�他人が自らを「光」と認識し、特別視する誤解を解く努力と戦いが必要です。

イエス・キリストの時代に、「この人こそ光だ」と周囲が認識していた人物がいます。バプテスマのヨハネです。

バプテスマのヨハネは、自分を「光」と認識する人々の誤解を必死に解こうとしました。

「私(バプテスマのヨハネ)はその方(イエス・キリスト)のくつのひもを解く値うちもありません。」(ヨハネ1:27)

「あの方(イエス・キリスト)は盛んになり私(バプテスマのヨハネ)は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:30)

そして、バプテスマのヨハネではない、ヨハネの福音書の著者であるヨハネも、「この人(バプテスマのヨハネ)はあかしのために来た。光(イエス・キリスト)についてあかしするためであり、すべての人が彼(バプテスマのヨハネ)によって信じるためである。彼(バプテスマのヨハネ)は光ではなかった。ただ光(イエス・キリスト)についてあかしするために来たのである。」(ヨハネ1:7〜8)と、くどいくらいに語ります。

もし、この地球の周りに2つの太陽があるとしたらいつが昼なのか、夜なのかもわからなくなり困ってしまうのではないでしょうか。

太陽が1つであるように、「光」はイエス・キリストお一方だけであるべきです。

神を信じるクリスチャンは、自らに目を向けさせる「光」を消し、イエス・キリストの光を輝かせて、人々が神に目を向けることが出来るような「世界の光」とさせてもらいたいものです。

イエス・キリストは、バプテスマのヨハネをほめました。それは、自らを「光」としない生き方も含まれているのでしょう。

「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」(マタイ11:11)

「イエス・キリストの光」を輝かす人こそ本当のリーダーになるのではないかと思います。

この世は闇に包まれています。しかし、2018年前に光がこの世界に来られました。イエス・キリストです。

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:1〜5)

真っ暗な部屋に電気をつけた瞬間、暗闇は光に消されてしまいます。

この世界に必要なのはこの光です。

この光が私を照らし、私を通して輝くことを感謝しながら、一日を過ごしたいですね。
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