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2019年06月14日23:15

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本めも(粘土に書かれた歴史 11-18)

前記事。 6−10章分
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971895064&owner_id=3960876
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●11:真理の研究(127頁〜)

哲学はギリシア人が初めで唯一発端、なんていうのはエジプト・メソポ
タだけ見てもそんなわけないわ、という話。

キリスト教では、神は神聖で全能であるとするが、何故悪が存在する隙
があるのか? キリスト教徒の出した答えは、悪の原因は人類の過失。
という原罪説。

「バビロニア人はギリシア人やローマ人と同様、神々が神聖とは考えな
かった。彼らの神々は大きくて力があり賢かったが、あやまちはおかし
た。(中略)バビロニアの神々はあやまちをおかし、またそれをみとめる
こうした神々であった。」(128頁)

一神教(一極理想化象徴化?)と多神教との差ですかね。
十二国記にある、実在の天は誤謬がある的なもんかもしれません。
このへんを完全に無視出来ないので、その部分を“天使→堕天使(悪魔)”
とかに振ったんだろかと思うけど。

で、特に悪の出現について考えなくてもよかった彼らは“人間とは何か?
他の動物との違いは?”ということを考えたようで、その結果が神の素体
を混ぜて最初の人間が造られた、ということに。



129頁〜。
アダパのエピソード紹介してるんだけど、「世界最古の物語」のだとたし
かエアにこっそり造られた人間でそのために人外の異能を有しているって
なってたと思うけど、ここだと普通に人間のお友達で気に入られてて仲が
良くて知識や魔術を教えられていたと思われる漁師だとなっている。

(この例えだと大分ズレる気がするが、(アレはプロメテウスの火みたいな
ものなんで。後に言葉となった)ある意味、グラン・ローヴァ物語で、最
初に精霊から“歌”を教えられた人間の子みたいなところがある。
精霊は単純に、歌を覚えて歌う幼い子供が嬉しくて可愛かっただけなのだ)

最古ののエピソードだと神造人間だということを誤魔化そうとして、(エア
のやったことが)バレないようにアダパを言い含めていたり、忠告に見せた
エアの保身だったりとする感じだったと思うんだけど。
この本だとアダパの生命の安全のための忠告で善意からであり、そのため
に、本来得られるもの(アダパの神化)が得られなかったっていう、まぁ食
い違いミスみたいな感じに。

これって訳が違うのか、それとも参照元そのものが違うのか。
(※前に書かれていたように語り人歌い人によって多量の.verがある可能性)

ただ、神化して幸せとは限らないのでそれでもいいんじゃないのかな。


130頁。
「彼は哀哭の服装をして頭に灰をかぶり天の門の処へゆけといった。」
あー、ここにもあったよ。イルウのアレ。
メソポタの風習なんでしょうか?
しかしここでも灰ですね。
谷川訳の麦藁はウガリト仕様だったら面白いが。


これと類似のモチーフとして続けてギルガメッシュを紹介していて、更に
同様のモチーフとしてアダムとイヴのくだり。



136頁でバビロニア人の火の獲得神話がみつかってないと書いてる。




137頁。
「ヘブライのシェオルとバビロニアのアラルゥは荒涼とした場所で、すべ
ての死者が善人も悪人も共に行くべきところであったた。」

138頁。
「人間の全てが行くべく定められていた場所は地下の巨大な洞窟であった。
彼らはそこでまったく裸でいなければならないところだったが、自然の恵
みで死者の魂は鳥のように羽毛を着ていた。この暗黒の世界では何も成長
しなかったから食物は何もなく、ただ地面の粘土を喰べていた。
この不幸な死せる魂たちは何よりも広々とした場所と、彼らがもはや決し
て見ることのできない美しい太陽とを渇望していた。これではとても魅力
のある見透しとは言いがたかったから、ギルガメシュはどうしても不死を得
ようとして最後の冒険を行ったのである。」

ウガリトのモトさんの黄泉ってこのイメージの延長上だと思うんだけど、
これだと粘土がそのまま粘土ですね。
食べ物が無い、ってことで、それしか食べられないという意味ではなさげ
だが。
仮に死者が、粘土=人間?を食するなんて意味だったら共食いの地獄絵図
になっちゃうんで、 粘土→粘土・人間 という意味選択肢があっても、
死者は粘土を食べるでいいと思うけど。



139頁。
『彼らは秩序をもたらすためティアマットと戦った。彼らは聖書に書かれ
ているように「地の上の水と、地の下の水とを分かちて」この秩序をつく
った。大地は死んだ竜の半分でつくられ、下の水の上に浮かされた。他の
半分は大地の上に丸くかぶせられて天となり、上の水が大地を水浸しにし
ないようにされた。下の水はからく役に立たなかったが、上の水はあまく
て雨の形で地上に降ってきて大地をうるおし、集って湖や川になった。
どうして、また何故、上の水と下の水が混ざりあわなかったかについては、
バビロニア人も聖書も説明していない。」

そういや天空も大地も竜骸だったな。
ヤムを水竜系にするならモトさんを地竜系にするイメージもありか。
ヤムはティアマト設定のスライドだろうし、存在レベル的にヤムとモトさ
んが近そうな扱い?(モトさんはヤムを倒したことを怒ってる?)なのはこ
ういうイメージからなんかのう。
バアルがヤブヘビするまでオモテに出てこなかったというパタンなら、
バアルが大地の支配権を主張したから何言ってるんだってな方向とかな。


ここでは上の水と下の水を別物にしてるけど、ウガリトのヤムとバアルは
対立して打倒することで両方が循環しているイメージもありえるかもでし
ょか。



139-140頁によると、手順に沿って分けていく、戦いではない筋の話もある
そうである(雰囲気的にはこっちのほうが聖書に近いのかな)。


マルドゥク参考例:
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-027_0.html



●12:賢者の石(141頁〜)

魔術と呼ばれるものは。

143頁。外科医の印章図の写真。

147頁。
「シュメル」にも書いてあった内臓占いは、病の形代の時もやる。
手順を踏んだあと、移ったか確かめようとしたみたい。

149頁。
バビロニアは六十進法。数学者は非常に複雑な計算を好んだらしい。
(現在使われているのは円=360度や時間単位など。)

150頁。
シュメル人は零にほぼ近い概念を持っていたようだ。
複数の桁の途中で空白が必要な時には「ない」という記号で示した。
ただ通常は切り捨てで扱っていた模様。


153頁。
ニップール市見取り図の写真と、それを参考に実際に発掘されたものの
略図比較。出土図は非常に正確である。


バビロニア人は、目に見える観察できるものに対しては非常に正確性
を追求したが、把握出来ないもの(世界など)に関してはイメージ的だ
ったらしい。
地理に関心があり、様々な情報を集め、現地で地図が作られた。



●13:読み書き算術(159頁〜)

書記の勉強をするためには神殿付の学校と家庭教師があった、とあるけど
この家庭教師って家に訪問したり住み込みで教えたりするああいうのじゃ
なくて、多分“私塾”みたいなもん?
市井で働く書記の人が教えてくれる感じ。

「シュメル」では学校とか通いのイメージだけみたいだったような気がす
るけど、ここでは、後者は“徒弟制度”。
おそらく、先生である書記は依頼で仕事を請け負い、生徒は養子弟子とし
て住み込みで助手をしながら一人前になるまで学んでいく・・ぽい。
で、この方式で育った弟子が書記になると、書記〇〇の子、って書記先生
の名を記したりするので、沢山育てた先生の名前は、このことを知らずに
見ると一見矢鱈子沢山の書記に見えるらしいです(笑)。
このへんの先生と弟子は遍歴しながら、一般の商取引の契約書や私信の代
筆などのごく一般的な業務をこなしていたのではないかってことで。

次の14章にも別件で出て来るけど、誰かの養子になるというのはごく一般
的な概念だったようです。
(そうすっと 〜の子 は矢張り慣例・比喩表現以外にも、そのまま実子
ととってはいけない場合があると思。同盟が兄弟姉妹だし・・)


で、大神殿付属学校のほうは本当にガチになるので、ほんの初歩から、
「シュメル」でも説明されていたような、祭司や学者になるような、広範
で高度な知識と各種技能までを勉強するところのようです。

習字の手本は左欄に書いてあって右に生徒が書く。
粘土板なので完全に乾いてしまうまでは、生徒の欄を押して消せば繰り返
し使えるし、ダメになってしまったものはくずかご行きになったり、お手
本部分だけを切り取って見本カードのように使ってもいたらしい。
(少し上達した生徒が、書く用の粘土板を用意して時々見ながら練習する)

習字見本・練習用の粘土板は書ければいいものなので、丸めた粘土を板や
机や壁に叩きつけたりして平らになった部分に書くらしい。
(163頁・画像例)

「レンズ型」粘土板と呼んでいるらしいのだが、これも存在を知らないう
ちは内容や筆記の程度もごちゃごちゃでナンダコレに見えるそうなのだが、
習字カードだと思えばいかにもでわかりやすい。

学校の場合は↑の程度を越えたら文字表(1つの文字の派生パターンなどが
書いてある)を習い、その次は字引(固有名詞)を覚えるらしい。
ここまでが準備学習で、ここから文章例を書き写していく。

(これらの雑多な部分写本は、原版や繋がりが不明という難点はあるものの、
研究者にとって図書館の本の内容の情報源になる)


166-168頁。
前のほうでいっぺんメモったけど、ここに名前不明なものの、アッシュー
ルバニパルのものと思われる指示書手紙の訳が載っている。

彼は集めただけでなく、当時既に千年単位で古かったものに自国語の訳を
つける作業を遂行したそうで。
この併記が行われたことで、後世の研究者が解読する助けになっている
みたいです。



●14:ある民族の復活の物語(170頁〜)

ヌジの発掘の話。

変わった粘土板が出回っていて、興味のあった人物が出土地を突き止めて
おり、発掘が行われることになったのに誘われたキエラ氏。

「テヒプティラ家」という勢力のあった家の広大なヴィラだったそうなの
だが、元々四角い籠に入れられて整理されていた沢山の粘土板が混乱して
いるのを回収して研究・・とやっていった結果。
アッシリア語で書かれているが別言語の民が便宜上使っていたらしく、綴
りや法則が破綻していて外国語が混じり人名は全て外国名。
契約書に書かれた法律や習慣が見たことのないものだった・・。

という。
主に商業・不動産資料に寄っているのだが、ひとつの家に関わるものが
豊富に揃っているため、これにより様々なことを読み取ることが出来た
そう。
最終的にアッシリアによって滅ぼされ、そのまま埋もれていたらしい。


173頁〜。
ここで養子の例が出て来るのだが、バビロニア・アッシリアでは古くから、
子供の無い老夫婦に、養子になって彼らの代わりに畑を耕して夫婦が存命
中の間一定の生活物資を供給することを滞りなく行ってくれるのであれば、
死後に全財産を譲渡する、という養子縁組の習慣があったそうだ。
これ自体は、双方が誠実に条件さえこなせれば問題の無い普通の契約
・・・なのだが。

これに目を付けた↑にある家や他の地主たちは法律の不備をついて悪用。
貧しい農民に“自分を”養子にさせ始めた。
子供がいれば遺産の一部、子が無ければ全部を相続出来てしまう。
大っぴらに行われており、ひとりの地主が三百四百と膨大な数の養子縁
組を結んでいたことが書類でわかるらしい。
当然だが、契約の奉仕分がまともに遂行されることが無かったり、相続
規定以上のものを要求されることもあるとこれまた法廷記録から見える
そうだ。
他にもこの関連でぐだぐだな状況が多発していたらしい。

そのほか資料から見える法律関連や裁判の話、法廷記録のやりかたにつ
いて(長いと省略改変されてしまうらしい;)などが紹介されている。

ちなみにこの都市は総員武装都市だったそうで、職業問わず、乞食だろ
うと弓矢を備えなければいけなかったとか。
富裕層には相応の軍備が義務付けられ、定期検査もあったらしい。
最終的に攻め滅ぼされているところをみると、当然の防備だったのだろ
う・・・。


↓うぃきぺのフルリ人の項目
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AA%E4%BA%BA
の調査の欄にキエラ氏の名がメモってあり。



●15:芸術(182頁〜)

印章の話。
最初は平面の印(丸や四角や楕円)でごく粗いものだったが、粘土板に文字
が記されて形式が整っていくにつれて、円筒型のものが造られ大流行し広
く伝わっていったそうである。
財力があって腕の良い職人に頼んだものは芸術品の域まで、逆に貧しい者
が必要最低限で腕の良くないところに依頼したものは非常に粗いものとな
り、後世の新旧の見分けを困難にしているようである。

そして、これらは広範囲で沢山出ては来るものの、携帯用に小さく、そし
てあるものはとても美しいことから、単純に見た目の良さから発見しても
持ち去られたり私物としてしまいこまれることは珍しくもない結果、研究
者的には出自のわからない雑多と対面することになるそうである。
この草稿が書かれた「現代」時点では、アラビア夫人が種々のこれを集め
てアクセサリにすることがあるそうで、研究者が是非よくみせてほしい
・・!となるものもあるそうだが、そうそう貸しては貰えないそうである。
残念だが所在が分かって大事に保管されるならそれはそれでアリか・・。
(現在なら「貸すのが無理なら画像ください!」というテもあるしね)


近代、スカラベの模造品や円筒印章の模造品が造られているようで。
問題なのは、元々職人の腕で左右されまくる品で、模造の腕の良いものと
なると、専門家が見ても区別がつかないことがあるんだそうである。

キエラ氏がとある古物商から聞いた例だと、彼にはとても腕のいい趣味作
成者?の知り合いがいて、ある気に入った品の価格を低く見せるのに、一
旦預かってコピーを作って貰い、持ち主に、そっくりなものあったからあ
んま高価くはならないねーと並べて言って信じ込ませて安く買い取ったそ
う。
で、その後に出来の良さに少々悪戯心を起こし、上客のひとりで友人でも
ある博物館関係者が来た際にコピーのほうを見せたところ、大変興味を持
ちよく見たいと預かっていった。ところが、友人関係だったせいか返却を
忘れて持ち歩いたまま帰国してしまい、博物館の買い上げが決まったよう
で小切手が送られて来たらしい。
古物商はすぐにばらすお遊びのつもりだったので驚いて事情と本物が手元
にある旨を書き送ったそうだが・・、信じて貰えずに、博物館にはそのま
ま偽造品がある・・。
という話だったそうである。

あくまで伝聞話ではあるものの、キエラ氏実話推定。
プロがこれなんだからド素人はもっと要注意ですな。

続けて粘土板での印章の配置されかたなどを説明しているが、なお、適当
な粘土板をいじって専門家がわからないような印章図を偽造するのは困難
だそうなので資料的に幸いである。



●16:アマルナ文書の物語(192頁〜)

・・・発見時のエピソードが。

たまたま村人が発見したのだが、エジプトから出るとは当時思われてい
ないものだったが、知識の無い彼女は区別などせず、売り物になるかな
と思い、知人と一緒に「数を増やそうとしてその粘土板を叩きわり」
近所の商人のところへ持って行って売り払った。
商人は文字があるからともう少し価値を見出し、そのうちひとりの売り
手が一山当てるのに掛けて纏まった数を欧州の博物館に持ち込んだが、
バビロニアの粘土板がエジプトから??と結局近代偽造品とされてしま
う。
このため、価値が無いんだと思ってしまった商人たちは気軽な土産物と
して売り払い始めた。
が、ベルリンの博物館が気付いて価値を評価すると、あっという間に評
価はひっくり返って熱狂的な探索が発生した。

・・・その結果、ある程度回収されたのはいいものの、各所に散在して
しまったそうである。

この文書は当時の様子を窺わせるとても重要な資料となる公式外交文書
で、ウガリトの名も出ている。(前1500より少し後のもの)

↓うぃきぺのアマルナ文書頁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8A%E6%96%87%E6%9B%B8
記載王名メモがあります。

文例解説
http://mikeo410.minim.ne.jp/cms/~otherdocumentsdigestamarna


続けて、当時の周辺状況や何故バビロニア語が共通語だったのかなどを
説明している。



●17:ギリシア・ローマへの道(202頁〜)

トルコで発掘された粘土板から見るアッシリア人の所在の謎。
(これ現時点でどうなってんの?)

ボアズケゥイ、って書いてあるのはボアズキョイって呼ばれてるやつだよ
な。
粘土板豊富で、数か国語対応の字引が出てるらしい。
馬の飼い方や訓練法を書いたものも。

文字の波及の話。



●18:東洋と西洋(213頁〜)

213頁。
前章にもあるように、様々な事実が明らかになっていたわけだが、
「こうしたわけで、われわれはたいていのことでは驚かないようになって
いたが、ラス・シャムラの劃期的な発見にはまったく驚かされたのである。」

元々円筒印章の出土場所だったらしいのだが、墳墓と遺跡丘に注目したこ
とで発掘が開始され、楔形文字をアルファベット式に使っていたものが発
見された。
初期フェニキア語とフルリ語の近似語だったので、先にフェニキア語を読
んでいたようだ。

他にもインドで見つかった印章の話などしている。

バビロニアの影響が一体どこまで広いのかはまだまだ全くわかっていない。
という旨のくだりで本文は終わっている。


本文では最初の資料を読んだことが書かれていたが。
古オリの前置きに発掘年書いてあったと思うがメモしてたっけ?と確認す
ると、
-----
この本に記載の「バアールとアナト」翻訳元については、大部分が
1930-33の王宮跡の発掘時に王室文書に混じって発見されたもので、
それに発掘開始の年に発見された小断片を加えたもので構成されている、
とある。
-----
で、
キエラ氏の没年は1933なので可能性としてはジャストギリかも。
資料を見ることは出来たんだろうか。

キエラ氏の感想があったなら是非聞きたいものだが。
きっと新情報を喜んであれやこれやと語ってくれただろう。



●エピローグ

きっと現代文明が滅んだ後になにものかが調べたなら、現在の残骸よりも、
おそらくほぼ形状を留めない紙の本よりも。
未だに99パーセントは埋もれたままだろう粘土板が拾い上げられて解読
されたなら、きっとそれが黄金時代なのだと評価されたりするだろうな、
というような語り。

データとか現時点でも常に消失と維持・媒体問題だよー

宇宙人に当てた金属板だっけ?とかありましたが
現状人工物で遺りやすいのって何? 分解しないというセラミック?


(このあと作中に出て来た地名など表示の地図・年表)


●あとがき(訳者あとがき)

原本や主な著作とキエラ氏の概略データを紹介している。
沢山の翻字・翻訳やヌジの発掘で有名だそうです。
(注意書きとかは冒頭に先に書いたあたり)
言語学者・考古学者。

英語うぃきぺ概略あり。(Edward Chiera)
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Chiera


言語学者表記がヌケているが↓
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%20%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%A9-1620400
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エドワード キエラ
Edward Chiera

1885 - 1933
米国の考古学者。
ローマ生まれ。
1885年ローマに生まれる。アッシリア学を専攻し、1913年ペンシルベニア大学で教職に就く。’25〜’28年ヨルガン・テペの発掘を指揮する。’27年シカゴ大学教授となったが、’33年在籍のまま没する。著書に「They wrote on clay」(’38年)があり、「粘土に書かれた歴史」(’58年)として邦訳されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
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以上。
な、長くなった・・・orz 期限間に合った;
凡ミスありそうだけどとりあえずこれで・・・。

次は保留してた「シュメル」メモせねば。

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