今回、「大人の事情」で急遽、一ヶ月もの休みが降って湧いた。
時に何も考えてはいなかったが、10日程前に、北海道乗り鉄の旅が、頭に降りて来た。
北海道フリーパスは7日間有効。
土日の予定を考えると、11日から13日辺りに出発しなければならない。
時間も無く、航空券の都合で昨日、11日の出発となったが、乗り鉄の予定は時間を掛けて練っていないから、割とオーソドックスな物になって仕舞っている。
そんな、中途半端な感じで昨日、苫小牧に乗り込んだのだが、矢張り、細部に拘って詰めていないから、今一つ、気乗りがしていない。
それでも、今朝は5時半に目が醒めた。
苫小牧は良い天気である。
しかし、昨夜は冷えたから、暖房を掛けて就寝した。
シャワー浴びて、ホテルの朝食サービスを頂く。
今日は、苫小牧で高校のテニス大会があるらしく、朝食コーナーが、ジャージ姿の女子高生に占拠されている。
何時もの東横インとは雰囲気が違い過ぎて落ち着かない。
7時20分過ぎにチェックアウト。
今朝の苫小牧は、良い天気だが風があり、少し肌寒い。
駅前のビル建設現場の囲いに、ご当地キャラの漫画が印刷されている。
なかなか面白いアイデアである。
苫小牧のホームで列車を待つ。
到着した東室蘭行きの普通列車からは通学の高校生が多数降りて来る。
日高本線からの苫小牧止まりの列車からも多数の高校生が降りて来た。
折り返し、7時54分発の普通様似行きとなる。
この列車にも多数の高校生が乗車した。
矢張り、私は場違いな気がする。
さて、この様似行きの普通列車であるが、様似まで行かない。
2015年1月7日から8日に掛けて、発達した低気圧による高潮にて線路流出。
鵡川-静内、静内-様似で不通となっており、代行バスで運行している。
案内放送でも、仕切りに流している。
それにしても、日高本線は約140キロメートルの路線。
苫小牧から鵡川までは約30キロメートル。
つまり、残り110キロメートルは代行バスと云う、信じがたい事になっているのだ。
日高本線は、95年8月に乗車して以来24年振り。
実は、当時も台風の影響で一部区間で代行バスが走っていた。
しかし、今回みたいな大規模なものでは無く、極一部の区間だけであった。
苫小牧を出て暫く行くと、右手側に即線が何本も現れる。
苫小牧貨物駅で、コンテナの積み降ろし等の作業を行っていた。
苫小牧貨物駅を出ると、日高本線は右に曲がり、室蘭本線と別れる。
そして、勇払に到着。
海が見える。
だんだんと、人家無き湿地帯へと入る。
しかし、遠くに港湾施設の櫓やクレーンが見える。
そんな中、エゾシカらしき群れが見える。
何とも、奇妙な風景である。
東苫小牧港の港湾工業地域を抜け、浜厚真に到着。
そして、暫く行くと、もう鵡川に到着。
かつて、日高町まで結んだ富内線が分岐していた駅であるが、廃止から30数年が経ち、最早、面影が無い。
富内線が現役だった時代、日高町から更に奥、占冠村は日高山地に囲まれた不便極まる土地であったが、石勝線が開通し、札幌と直結。
更にリゾート開発も進み発展している。
日高町の人は地団駄踏んで悔しかった事だと思う。
8時38分発、静内行き代行バスに乗車。
一般的な路線バスだから、勿論、トイレも無い。
列車から乗り継いだのは僅かに7人。
代行バスは日高本線に沿って走る国道235号線を行くが、全て国道と日高本線が並行している訳では無い。
特に駅は、国道沿いには無く、集落の近くにあるから、入りくんだ道を入らねばならない。
なので、非常に時間が掛かる。
国道を離れ、狭い道を抜け、汐見に到着。
ここで、二人降りた。
駅前では転回出来ないから、一度港を周り再び汐見へ。
そこから国道へ出る。
万事、この調子。
牧場の脇を通る事もある。
国道を進み、富川が近付くと、ここはちょっとした町。
マックスバリュやツルハドラッグなどもある。
ただ、駅前は大した事無く、バスでは入れない。
駅前まで入れない駅も多々あった。
日高門別から、また海が見える。
遠くにうっすらと見える岬は、襟裳岬だろうか。
そんな中、聞いた覚えのある駅名があった。
豊郷、勿論、「けいおん!」の聖地とは関係無い。
小さな無人駅である。
それにしても、並行している日高本線は、赤茶けた線路を夏草が覆っている。
流出した橋が、手付かずのまま残されている。
このままでは、日高本線は朽果ててしまうのは明らかだ。
実際、途中の駅から乗客は誰一人として乗って来ない。
既に、列車が来なくなって丸4年。
不便な代行バスを見捨てて、自分たちで新たな足を見付けているのだろう。
代行バスは、あくまでも日高本線の代わりだから、停留所は日高本線の駅の近く、可能なら駅前に設けなければならない。
そんな中、牧場の中を通る道を走る場面も多々ある。
渋谷牧場とあった所では、多数の馬を見る事も出来た。
日高地方は、日本でも名だたる馬の産地。
特に新冠などは国道沿いに「駿馬のふるさと」と案内している。
新冠を過ぎると、ようやく静内に到着。
次の様似行き代行バスは10時33分。
記念入場券を買い、トイレを済ませる。
それにしても、代行バスの乗り継ぎなど初めての経験だ。
ただし、バスは先程のバスと同じなのだが。
今回の乗客は6人。
なので、一人増えている。
静内の町を抜けると静内対空射撃場に出る。
そして、東静内。
更に日高三石と続く。
この辺りは日高昆布の産地。
浜辺の砂利をならして昆布干しの準備を行っている。
95年に訪れた時には、砂利浜一面に昆布が干され、浜辺全体が真っ黒になる程であった。
蓬栄で一人下車。
しかし、荻伏で一人乗車。
浦河では二人下車と、この辺りは乗り降りが激しい。
そして、次の東町に向かう途中に「熊出没注意」の看板があった。
そんなに山と云う程でも無い、付近に学校も住宅もあると云うのに、流石は北海道と云うべきか。
その東町でも一人下車。
遂に乗客は私含めて三人になって仕舞った。
しかし、次の日高幌別では一人乗車して来た。
細かく集落を行き来して、再び国道へ。
海沿いを走る。
何やら奇岩が多数見える。
親子岩と云われる、二つ並んだ岩もある。
そして、西様似に到着。
そう云えば95年も、様似に近付いた時に奇岩を見たような思い出が黄泉返る。
そして、ようやく様似に到着。
ここからは、当初の予定では折り返しの代行バスを乗り継ぎ、苫小牧に戻る事にしていた。
様似から先、バスに乗り継いで襟裳岬に行っても、帰って来れなくなるからである。
しかし、観光案内で話を聞いて、目の前にあるエンルム岬に行ってみる事にした。
片道、30分も掛からない距離である。
それでも、代行バスには間に合わないから、JRバスで広尾に抜ける事にした。
荷物を案内所に預けて、出発。
途中「右・節理路頭、左・エンルム岬」の案内がある。
先ずはエンルム岬へ行く。
駅から20分程で登山口に着いた。
急坂を登るが、大した距離では無い。
途中、代行バスの同乗者の人と擦れ違った。
頂上には「エンルム岬にある埋蔵文化財、エンルムチャシ跡」とある。
チャシとはアイヌの砦の事らしい。
ここからは様似海岸が一望出来る。
続いて、エンルム岬の節理路頭にも行ってみた。
アポイ岳ジオパークの一端を担うだけの事はある。
かんらん岩から成る見事な柱状節理。
思わず感嘆の声を上げた。
先程擦れ違った同乗者の方に声を掛けられたから
「これは見事なものですね」
と返事をした。
そして、途中にあった様似郷土館にも寄ってみた。
松前藩の油駒運上所だったたが、幕府直轄のシャマニ会所に改められ、会所を中心として栄えた様似の町だけに、なかなか見所も多いが。
私が目を奪われたのは此方のコレクションだった。
駅への帰りに、国道沿いにあったセイコーマートへ。
お茶と、昼食代わりのパンを購入する。
13時半過ぎに様似駅に戻る。
観光案内所で、地元名産の昆布塩と、鮭の魚醤を購入。
14時発の広尾行きバスを待っていたら、同乗者の方もおられた。
折角なので、色々と話に花を咲かせる。
同乗者の方は、昨日は岩見沢から一時間バスに乗り三笠市立博物館に行きアンモナイトを見た事。
今日はアポイ山荘に泊まり、明日はアポイ岳にゆっくり登山される事をお話された。
私は昨日、飛行機で新千歳空港、苫小牧で一泊。
今日は広尾、帯広経由で札幌に泊まり、明日は釧路まで行く事などを話した。
JRバス日勝線の広尾行きが到着。
乗客は私と、同乗者の方を入れて4人。
2人は待合所で話していた地元のおばちゃん。
様似の町を抜けるとアポイ山荘。
ここで同乗者の方が下車する。
「お気をつけて、楽しい旅を」
挨拶して別れる。
バスが出ると、外で手を降って下さったから、私も大袈裟な位、手を降って別れを惜しんだ。
同乗者の方は、70から80の間位の、品の良いお爺さんであった。
アポイ山荘から少し行くと、昆布を干している。
昆布漁をしている船も多数あった。
笛前で一人下車した。
しかし、えりも駅前で一人乗車して来る。
この辺りは、えりも町の中心部だから、賑やかで、乗り降りもあるのだろう。
えりも町の中心部を抜け、襟裳岬の手前、油駒で様似から乗車して人が下車。
ここから、襟裳岬までは車窓が凄い。
日高山地が突き出て、そのまま太平洋に落ち込む襟裳岬なだけに、変化に飛んでいる。
西側は丘陵地帯の様な地形が、海に落ち込む。
東側は断崖の下に集落。
そして、襟裳岬に到着。
24年前はここで下車して、ゼニガタアザラシの群を見た。
今日は時間が無いから、そのまま通過する。
襟裳岬を過ぎ、岬市街でえりも駅前で乗車した、最後の一人が下車。
遂に、乗客は私一人、貸切状態に。
百人浜の海岸を眺めながら進む。
そして、庶野辺りまで来ると、波が荒くなって来た。
吹き流しを見た感じでは、風もかなり強く吹いている。
ここから先は、黄金道路と云われる区間。
日高山地が海に落ち込む断崖絶壁に道路を通しただけに、とてつもない工事費が掛かった事が由来らしい。
咲梅辺りは、岬が列なっている。
まさに断崖絶壁。
そこをトンネルで突っ切る。
場所に寄っては、明治、大正、昭和、平成の各時代のトンネルもあるらしい。
萌岸付近も断崖絶壁。
泉浜付近も断崖絶壁。
そんな区間を経て、ようやく土地が拓けて広尾の街中に入った。
活気の無い商店街は、殆どがシャッターを下ろしている。
そして、15時50分、広尾に到着。
襟裳岬を廻って、24年振りの広尾。
当時は旧広尾線広尾駅の駅舎が残っていたのに、何時の間にか建て替えられていた。
その代わりに、傍らに広尾線を忍ぶ交通公園が出来ていた。
次の十勝バスの切符を買う次いでに、窓口の人に聞いてみた。
わざわざ、新聞の切り抜きまで出して教えてくれた。
切符が硬券だったから、記念に単区間の切符も一枚、購入した。
バスを待っていたら、パトカーと警察官が下校途中の小学生に声かけしている。
こんな田舎で、こんな人相の者がいたら、確実に職務質問だなと思って構えていたが、杞憂に終わった。
16時22分発の十勝バス帯広行きに乗車。
24年は高速バスタイプだったが、今は普通の路線バスになっていた。
40分ほどほど走り、17時前に大樹の町に入る。
広尾が余りに寂れていたからか、大都会に見える。
帯広行きのバスは、学校帰りの中学生や高校生で一杯になった。
大樹の町で乗った中学生は更別あたりで次々と下車して行く。
そんな更別は、如何にも十勝地方と云った感じの、大規模な畑作農家や畜産農家が続く。
そして、降りた中学生に代わり更別の農業高校から高校生が大量に乗車した。
途中、広尾線の「愛国から幸福行き」で有名な幸福、そして愛国のバス停を通過。
どうせなら、愛国から幸福行きの十勝バスの切符を買えば良かったと少し後悔した。
帯広には18時45分、4分の延着。
小雨がぱらついている。
帯広駅は平成8年、1996年に高架駅になっているが、95年当時の記憶は全く無い。
なので、此方のサイトで昔の帯広を偲んでみたい。
帯広の街の風景を明治・大正・昭和の昔と今の写真で見比べてください
http://www.obsinren.com/?page_id=695
次の列車は19時22分発の特急「スーパーとかち10号」
しかし、折り返しになる札幌からの「スーパーとかち」が遅れているとの事。
結局、5分程遅れて到着した。
此方は、時間も時間だから、晩飯になりそうな物を物色する。
今日も呑まない予定だから、ぶっちゃけ何でも良い。
広瀬すずも食べたと云う、帯広のパン屋のパンにも食指を引かれたが、帯広駅の駅弁、「十勝帯広金扇」の「豚どんおにぎり」にした。
「スーパーとかち」4号車7番A席に陣取る。
時間に余裕が無いから、直ぐに発車した。
時間も時間だからか、かなり空いている。
日は完全に落ち、弁当を食べてしまったらやる事も無い。
何となく、今日の事を思い出していた。
そう云えば、昨日今日と酒を全く呑んでいない。
仕事に追われていた先月は毎日呑んでいたのだが。
矢張り、乗り鉄の旅に出て、ストレスが解消されているのだろうか。
22時15分札幌着が3分程遅れて到着。
22時34分の小樽行きに乗り換えて一駅。
桑園駅前の「北のたまゆら」にて温泉気分。
疲れた体を温泉で癒す。
塩気のある温泉で、効きそうな気がする。
随分と体が楽になった。
また明日も、大変な一日になる。
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