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2019年06月11日10:25

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故 山岸隆初代TDI会長Q&A

HDDの中を整理していたら過去の抜き書きが出てきた。当時はワープロで打ったファイルだった。以下抜き書きファイルのコピペ
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山岸隆 『超能力回路を開く 1』より

Q4 『死後の世界はほんとうにあるのでしょうか。私たちは天国や地獄へ行くのでしょうか。宿命とか、運命は存在するのでしょうか。なぜ運命ができるのでしょうか。同じ親から一卵性双生児として生まれ、同じ環境に育った兄弟でも、どうして運命が違うのでしょうか』

A4 『死後の世界は存在する。人間が考えている以上に複雑である。死後の世界に存在する時間のほうが現世で生きている時間よりも長い。現世は魂の修業の場であり、更生の場である。神から見た場合、現世も死後の世界も一連のもので、魂を肉体という束縛の中においているかいないかの違いだけである。

運命、宿命というものは、輪廻する時に、自分の魂の更生のために、神が用意された運命の中から、良いと自ら決めた運命のもとに生まれてくるのであって、運命そのものは神が決めたことであり、選択したのは自分である。厳しい運命を選択した魂は、それだけ更生のチャンスに恵まれているのである。肉体的に同じ遺伝子を持ち、同じ環境に生まれていても、魂は別であるから、同じ運命でもたどりかたが異なるので、人間から見れば、別の運命をもって生まれてきたように見えるだけである。
運命は人生の大枠であり、その枠の中で十分に自由に意志表示する場がある。その許された自由意志を十分に活用して、自分の運命の枠の中で、いかに魂を更生していくかで死後の世界が決まる。十分に更生しきれなかった魂は、何度も輪廻しなければならなくなる。天国、地獄というが、現世こそ地獄である。与えられたというよりも、自分が選択した運命を精一杯まっとうすることが更生の道である。人間が考えている以上に運命の枠は広いのである。人間がいう運命を切り開いた、運命を乗り越えたというのも、神からみればその人の運命の枠の中でのことである。

運命が良い人も悪い人もいて、神が不公平であると考えている者が多いが、それは現世だけを見ているからであり、みんな平等に神格までたどり着けるようにするためのステップが現世なのである。長い間、神格に近づくように努力を重ねて、あと一歩という魂が、選択できる運命と、反対に努力しなかったもの、もしくは努力を開始したばかりの魂の選択できる運命が、同じであることのほうが不公平である。

すべての神は、人間が運命の枠いっぱいに人生を送り、魂の更生をよりよくするための手助けをしている。その神の心を受ける部分が、我々のいう超能力をつかさどる部分なのである。超能力を獲得しても、それを魂の更生に使わなければ、神からの流れは途絶える。途絶えさせるのは本人である、といった方がより正確である。途絶えさせるような心が神と反対のルシファーとのつながりとなるのである。ルシファーとは、人霊であり、輪廻しても更生せずに、更生を放棄した魂である。神格に近づくように更生をしようとする魂の更生を妨げている存在である。更生をしていないので、低次元の存在である。したがって、現世には、強い力をもっている。』

これが現在までに私が知り得たことですが、これ以上の質問には、神は回答してくれません。たぶん現在の私のレベルでは、教えられても理解できないか、教えたら道を踏みはずすからなのでしょう。今後、私が努力し、理解ができるまでに成長した時には、これ以上のことを教えてくれるのではないかと思います。
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Q5 『魂は、死後いつまで存在するのでしょうか。一千年間も存在している魂はあるのでしょうか。また、成仏するとはどういうことですか』

A5 『魂は、人間の死後いつまで存在できるかという質問は適当ではない。人間は、生命を終えると、死後の世界に来る。その時、徐々に死後の世界に順応していくが、順応がなかなかできずにいる状態が、人間のいう成仏していないということに相当する。この状態は、マイナスのエネルギーによって引き起こされる。このような者が後に、マイナスエネルギーとして現世にとどまる。つまり、これが霊障といわれるものである。このマイナスのエネルギーは、生きている人間から発生するエネルギーであり、意志を持っている。人間として生きている間に、このマイナスのエネルギーを出さないようにするのも、魂更生の重要な要素である。

魂は、それぞれの更生の度合いに応じて死後の世界にとどまる期間が異なる。つまり、輪廻してしまうということである。したがって期間を問うのは適当ではない。しかし、死後、魂がある格を持つようになると、しだいに長く死後の世界にとどまるようになる。神格を持つようになれば、人間世界からみて長年にこの世界にとどまる。格を得ることができずに終わった魂は消滅する。
生前に神の心を知った者は神格を得る。したがって消滅することはない。私たちのいう、老子、釈迦は、神格をもった者である。また、神といわれる者の多くは、現代の人類の知らない前の文明の神格を得た人間の古い霊である。』
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Q6 『神は人間に罰をあてるでしょうか。運命は、変えることができるでしょうか。「天網恢恢疎にして漏らさず」ということは、現実にありうるでしょうか」

A6 『神は人間一人ひとりについては、個々の行為ではなく心を見ている。現世は魂の修業、更生の場である。したがって、個々の行為については、神は罰を現世において与えることはない。神からみれば現世も死後も一連のことである。現世において悪いことをした場合には、(この場合の悪いこととは、神からみて罪になることをしたということであって、人間の法律、常識における悪いこととは、若干異なる)、その記録自身は、個々の魂に記録されているから、魂は、輪廻の際に、その記録の内容に見合った輪廻をしなければならない。そのこと自身つまり、輪廻する時に、選択できる運命の範囲が、罪の結果、すなわち罰を与えることになる。死後の世界について、天国、地獄というが、人間が考えるほど単純ではなく、複雑で厳しい世界が存在する。現世における運命は、前世の魂の大きさ次第である。ただし、運命の選択は、魂が許された範囲で自らがするのであるから、運命が悪いから、前世、現世において悪いことをしたとは一概に言えることではない。自ら許された範囲の中で最悪の運命を選択する魂もあるからである。

 どんなに、悪いことをしても、動物に生まれ変わることはない。人間は、あくまで人間として生まれ変わる。悪いことをしたら動物に生まれ変わる、というのは人間の傲慢からの発想であって、自然の状態においては、動物は人間よりも現世において幸せである。何も悪いことはしていないのにもかかわらず、一生を不幸の中に終わる人もいる。しかし、その一生の間、神の心を知り、明るく懸命に努力した人は、死後に輪廻する必要がなくなる。かりに輪廻しなければならないとしても、以前よりも良い運命を選択することができる。

 人間全体の運命については、良くすることも悪くすることも人間の心次第である。つまり人間の心いかんによっては現世を良くすることもでき、悪くすることもできるということでもある。人間は運命を背負って生まれてきてはいるが、運命そのものが大変幅広いものであるし、現世で最大限努力して神の心を知り、人生をまっとうするものが増えれば、輪廻する時に、その魂は良い運命を選択することが可能になる。この繰り返しにより、現世全体が良い運命を選択することが可能になる。子供のため、周囲のため、民のため、国のため、人類のために努力することは、次の時代の運命を変えることになり、価値のあることである。その努力する人に、古い人霊である神格を持った神や霊は、現世における魂の修行に手を貸しているのである。
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【抜き書き以上】
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