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2019年06月08日16:43

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映画 画家の作品とフリーメイソンとは

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https://youtu.be/4F9DxYhqmKw
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あらすじ

普段は自宅内に閉じ込められて生きることを余儀なくされている1人の女性は、1999年4月にフランスのパリへ行き、ストライキとは何かを学んだ。そしてパリ市内の治安が悪化している事を知る。パリ市内では連日、夜になると発砲事件が起きていた。その銃声はユースホテルの建物の中でもはっきりと聞こえてきた。救急車とパトカーのサイレンが連日連夜"出動"していた。しかし朝になる頃には何事もなかったかのようで、街行く人々は冷静な姿勢で歩いていた。

当時12歳の私は未だに自分が何者なのかを知らない。
"私の父親"は、連日、駅構内の売店でチャイニーズフードを買い与え、駅構内の階段に座らせて「ここに座って食べなさい」と命じた。

その駅は歴史があるような、趣きのある建物だった。
それは私が自分の少ない記憶に向けて逆再生をしている状態でも、はっきりと思い出すことができる。
しかし私の記憶は美術館の中やパリ市内の建物以外のほとんどがモノトーンである。
(それはパリ市内での自分の記憶に限らず、それは自分の昨日を思い出しても同じことです。)

自分の近くを通り過ぎていく人たちは全員大人で、自分と同い年ぐらいの少女や少年を見かけることはなかった。それはどこに行っても同じだったが、ある日、美術館へ行くと野外授業なのか、自分よりも小さい10歳未満ぐらいの少年少女たちが美術館の床に座って引率者の話を聞きながら目の前にある絵画の模写や何かしらの作文を書いているようだった。

別のコーナーには平日にも関わらず、大人たちが好きな位置から展示されている絵画を鑑賞していた。

私には絵画が小さな声で囁き合っているようにみえた。
どの作品も、まだ最近完成したばかりの作品のように艶があり、どの作品も生き生きとしていた。自分はその絵画を既に知っていたかのような気持ちになった。でも私は作者やタイトルを知らない為、筆の動かし方や光沢、作者の立ち位置と角度、光の差し込み方や色の重ね方に関心を持ちながらも「自分が何者なのか」を知っている絵画を探すことにした。

しばらくすると、「お父さんはトイレに行ってくるから、大人しく待っていなさい」と命じられ、美術館の中で1人きりにされた。すると、絵画が驚くほどの速さで光を放ち、私は一枚の絵画の内側へ行くことができてしまった。しかし私は臆病者のため、怖い!と感じてしまった。すると、絵画の中の住民なのか光が突然、別の場所へと伸びていった。気がつくと、自分の立っているその場所は、ほとんど死角となっており、自分の背後に人がいる事には気がつく事ができなかった。当時の私は、普段、自分の背後に人が立っていると、警戒してしまう不自然な子どもだった。

自分の周囲の照明は落ちており、暗い!と感じた。

通路には大きな時計の裏側が存在するが、
どこにも電源や仕掛けがないようだった。
そしてその大きな時計の裏側の通路には、
大勢の大人たちがまるでカフェのコーナー席で立ち飲みをしているかのように横一列に並んでいた。

私には彼らが全員同じ雰囲気を持っているように感じた。
そして彼らの容姿がアニメーションや映画の登場人物のように感じた。彼らの声は、絵画の中から聴こえてくるヒソヒソ話の声によく似ていた。でも、それは別の日の話で、別の美術館の話…それにまだ誰にも話したことがない、私だけの感覚だと思っていた。

その状況を説明する事は自分では不可能なのですが、その状況は、まるで映画マトリックスの白色の部屋にいる主人公のような状態だった。

自分自身が何者にもなれる!という意味ではなく、
自分が何者なのかを知る時でもあった。

私はアジア人であり、
私は難民で、
私は無知で、
だからこそ私自身は無垢であった。
自分には協力者が必要だという事。
そしてその場所では、
私は少数派の中の少数派であるということ。
そして"私の父親"も同じ…

エニグマ…数字配列の謎…
気がついた時には私は2019年の中で生きていた。
いや、度々、私ですら時計やカレンダーを気にする事もあるが、日本国内では世界各国の国際ニュースが少しだけ報道されるようになった。
「時が変わる瞬間」を撮影したのは、たしか、2017年の6月下旬、もしくは7月上旬だったと私は思う。

しかし私は度々記憶を紛失してしまうため、総てのデータが自分のスマートフォンから紛失してしまうだけで私自身も真新しい人物を構成しなければいけないと焦ってしまうところがある。それは自分自身が多重人格障がい者であり、それは葛藤の終わりでもあり、葛藤の始まりでもあった。しかしそれらは自分自身の成長でもあり、それらは決して自分自身の衰退ではないという事を確信した。

エニグマとは、数字配列だとすれば、映画マトリックスの
ように悪い部分のデータだけを残して、総てのデータを破壊されることができないように、人の短所と長所とSNSの活用方法を理解させる為には必要となる、歴史に遺る重大な書物を書き上げた気持ちにもなった。

それらは自分自身が重度の多重人格障がい者である事を認めざるをえない証拠でもある。

2018年だったかな?
私がロダンの作品を観に行った時、
美術館の中の作品はやはり喋っていた。
しかしその声は私にはうるさいと感じてしまうほどだった。私は自分が統合失調症であるとほぼ確信していた為、エニグマの作品を再度確認しながらその場所の文字を目で追っていた。

作品は日本語で会話している事が分かった。
彼らは未だに法学や人権について無知な状態である事が分かった。どうやら、以前、パルクールのプレイヤーが建物内で騒いでしまった為、彼らは再び苦しい!と感じるようになってしまったらしい。しかし彼らは現代人を攻めようとはせず、私たちの症状を理解して!と訴えているように感じた。

ここからは、
構造機能主義とは何かを考える時である。
ここからは、
美術館の活用方法や専門的な法学が必要になる事を改めて考える為に必要になる、国際教育と国際協力である。

「これらはプロローグにも満たない。」
過去の自分が何かに取り憑かれたかのように、
書き綴る事でみつける巨匠たちの知識量と自分の未熟さを感じる瞬間の葛藤でもある。

自分がなぜ総ての登竜門へと誘われるのか。

自分で映画のあらすじを描きながら、
主人公が自分自身を追究する理由とは。


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