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2019年06月05日12:32

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懐かしい

左)ホタルイカ、豚の生姜焼き、牛玉ねぎシラタキ煮物
中・右)紫陽花ボコボコの葉ーー消毒後綺麗な葉と額紫陽花の花芽が出揃った。
咲いたらまた載せるね。


朝飯前に畑の水遣りと草取り1時間半、8時からテレビマー君、11時から続いて大谷君の出番が有る。女房は定休日遅い朝飯前に一緒に食べながらマー君負け投手でも、大谷君に期待しながら日記書いてる。女房はパッチワークから刺し子の趣味を加え始めてる。教材は娘が買って送ってきてる。母の日以後昨日も三度目の段ボール。お父さんに悪いわねと言われてる。我が家は事務次官の引きこもりの息子さんの様に刺殺させられない様に育てて貰っただけで充分と言えた。ダニホテル買って貰ったし。今の所喰われていません。わーい(嬉しい顔)

普通なら心配の無職の次男、引きこもりにはなりそうも無いが一応ラインでも入れて置くわと女房に云う。わーい(嬉しい顔)



サツキの挿し木を覚えたのは隣町の昭栄中学の特殊学級の 石井先生からだった。学級の教材として内職をやらせてくれないかと社長経由で話があった。僕が持ち込み引き取り 始めた時に、昼休みに先生が木箱で何百本挿し木してた。育てた苗を地元の農産物祭りとかに出して学級の修学旅行の足しにしてたのかも、我々の内職代と一緒に。

授業中に届けに行くと勉強放ったらかしてタケウチが来たと言って10人程が全員で出て来ちゃったっけ。以来学級農園の新米の季節には家庭科の近藤先生が昼飯に社長と一緒に招いてくれたっけ。こんな付き合いから卒業したらうちの会社に勤めたいという子が続いた。

社長に生産性を言われた際、数も数えられない子を工数一人分に数える事に難色を示したら、社長は25迄数も数えられなかった子には、数えなくていい様な治具を作って来て渡された。方向性の逆向きを防止する治具もそうだった。組み合わせたら健常者と変わらないスピードになり、更にあと工程健常者おばちゃんの検品の必要もなくなり生産性は向上した。当然苦情がなくなった。
20代初めに障害者も一人前に扱う事を教えられた。野◯君は俺より先に両親にローンを組み家を建て替えた。

200人超し創業社長から親会社の出向社長になってからは高卒が常時応募者がある様になった所為も有り、中卒の特殊学級の子は雇ってない。我々の時は高卒など望むべきも無かった。5,6人は居て貰ったが結局オーナー次第、リーダー次第、今では国が割り当てているが、役所でさえ誤魔化している。組織はリーダーの力量以上にはならないってことだと思わされてた。
自分は現場から離れても創業社長から野◯君がシロアリ駆除業者とのトラブルで契約解消を担当させられたりしたが総務の仕事だとは思ったが、古い人間の役割と思えた。

お陰で自分が屋根の修理で450万円のヤマダ電機(骨太住宅)との間でクーリングオフが役に立ったり、障害者として会社に残らせて貰えたと思えば悪いことばかりじゃ無かった。
最後は無任所の生産性業務改革室室長という窓際に追いやられたが腐らずに居られたのは資材部時代の取引先や管理部時代の部下だった子たちのお陰だった。

出世のラインからは外されてしまいましたが、その分何時どうなるかは子供達はよく知ってくれてるだけで充分有難いと思いましょう。

今日から追っ掛けは大谷君一人に戻れます。なおみちゃんに続き錦織君敗退残念だが、大谷君のチームが負けても今日もホームランにヒットも打てた。まだたのしませてもらえそう。
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