「久しぶりに帰って来た家族」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/6/2(日)【1496】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19987 〈写真入り記事〉
今日の朝の礼拝に、11年前に私が路傍伝道をしていた時に知り合った夫婦が久しぶりに来られました。
住まいはアメリカのテキサス州在住なので、たまにしか来れないのも当然ですが、来日のたびに教会に来られます。
テキサス州は、私が留学していたこともある懐かしい場所ですし、顔を見るたびに、家族が久しぶりに帰って来てくれたように感じてうれしくなります。
教会に集まるクリスチャン同士は、互いに神の家族です。毎週のように顔を合わせているので、実の家族以上の関係になることもあります。
家族とは、一生切れることのない関係です。
神の家族も、場所が離れていても、一生家族です。
教会に集まるお高いだけではなく、知人友人が家族の関係になれたら幸いです。
いつも一緒に暮らしている家族もいれば、時々会うだけの家族もありますが、家族は切っても切れない関係です。
しかし、最近では、実際の夫婦などの家族も、教会の神の家族も、関係が希薄で、簡単に関係が壊れてしまうことがあります。
それは、利害関係でしかつながってないからなのかも知れません。
利害関係とは愛の対極にある関係です。その根っこにあるのは、利己主義であり、自己中心です。
人の成長とは、この利己主義や自己中心が削られていき、イエス様に近づくか、愛の人になれるかではないかと思います。
『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。』 (第一コリント13:4〜7)
まず、愛に生きるとは、自分が愛に生きていなかったことに気づくところから始まらなくてはいけません。
そうでなければ、愛が無いのに愛があると思い込んでしまっているので、一向に愛に近づくことはで来ません。
愛が無いことを認めたら、古い自己中心な生き方を捨てることです。
そして、愛に生きる決断をして、神様に助けを祈り求めることです。
愛に向かって成長し続ける私たちは、本当の家族であり、神の家族です。
久しぶりでも家族ですし、毎週会っていても家族です。
マタイは、長いこと不正に手を染めながら、「このままでいけない、変わりたい!」と思いながらも、その生き方にあぐらをかき、座りっぱなしでした。
そんなある日、イエス様が声をかけてくれました。マタイは、その古い生き方を捨てるように、立ち上がって、イエス様に従いました。
『イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。』 (マタイ9:9)
私たちも、古い生き方に別れを告げて、その生き方を捨てて立ち上がりましょう。
イエス様の弟子となって、イエス様についていきましょう。
『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』 (マルコ8:34)
ログインしてコメントを確認・投稿する