『天寿国の末裔』『三階教の万里阿尼』(７４９ 龍人丸 ２１才)（元は茜丸としていた）
役の小角の配下、羅刹丸と亀女のもとで龍人丸は成長し、思春期を過ぎた頃に単身、唐を目指す。唐は仏教の隆盛期である。龍人丸は大冒険の後に日本に戻り、光明皇后と再会する。そして不思議な冒険談を語る。
「海賊船より下りてすぐに私は人々の群に混じりました。」
――言葉や習俗のことは荒法師（役の行者）様より教えを受けておりましたので不自由はいたしませんでした。港は人の出入りの激しい所ですから怪しまれることもなかったのです。ある求道の僧に化けさっそく見聞の旅を初めました。
唐は仏教の隆盛と発展を極めようとしていました。長安（西安）では「玄奘三蔵」法師が印度より持ち帰った経の研究も進み、高僧の下に僧も信者も集い、宗門もできております
摂論、地論、天台、華厳(五台山)、三論、浄土(ろ山)、禅の諸派がすでに成り、今まさに起こらんとしておったのです。そしてなにより民衆が仏教を必要としておりました。
繰り返す戦に民は疲れ、飢えて、救いを求めておりました。人として、国として、どうすれば理想とするものになるのか。人は皆、それを求めていたのです。
旅先の寺院にて宿を乞い、僧を訪ねては学問を乞いました。
半年ほどは何の難にも遭うことなく、無事に過ごしておったのですが、ある夜に、破戒僧と知らずに泊めてもらった寺で騙されてしまいました。路銀も集めた経本も奪われ奴隷として売られたのです。
手かせ足かせで自由を奪われ、何日も歩かされ奴隷船に乗せられました。何処か西の方へ行くということしかわかりませんでした。しかし出航して何日かした頃、この船は海賊船に襲われたのです。
船底に繋がれていた私はもう駄目だと思ったのですが、誰かがどさくさにまぎれて看守から鍵を奪い、私を自由にしてくれたのでした。とにかく出口から這い出した頃、船に火のついているのを見て、私は思わず海に飛び込みました。何か木ぎれに掴まり海の上をただよっていたのです。
茫洋とした四面の海に船は沈み、私は一人助かったことを知ったのでした。久しぶりに見た空は青く、海の色も蒼く、雲は白く輝き、まるで何もなかったことの様です。
時がたち夕日が海に沈む頃私は浄土に流れ着くのだと確信しました。夜に満天の星を眺め私は気を失ったのです。
気が付いたとき私は悲鳴を上げてしまいました。地獄に来たのだと思ったからです。そこには鬼がいたのです。いえ鬼の様な面相の尼様がいたのです。
尼様は私に、ここは現世であり、まだ生きていると教えてくれ、私もその面相が火傷によるものだとわかるようになってきました。私は非礼を深く詫び、尼様に看病の礼を申しました。この港町に流れ着き三日三晩が過ぎており、なおも二週間近く私の面倒を見てくれたのです。食事の世話は言うに及ばず、下の世話までしてくれたのです。
この尼様こそ観音様だと私は思ったくらいです。容貌は恐ろしくとも心は菩薩様です。
尼様の名は万里阿尼と言い、肌は白く目は碧眼で黄金色の髪を持ちます。西域の小さな国の姫であったらしく、幼い頃カリフなる者に誘拐され、売られ、慰み物にされここまで来たらしく、数奇な運命に生きる人です。
万里阿尼はたいそう美しく成長し、男どもの人気と、女どもの妬みの的になっていたようです。ある夜、数人の女房達に寝込みを襲われ、輝くような黄金の髪と、顔と体を、たいまつの火であぶるように焼かれたとのことです。男どもは近くにおりながら誰も助けにはこなかったそうです。もうこれで男どもの目も覚めるであろう、というところで女どもの気持ちも収まったのでしょう。万里阿尼は捨てられました。
大火傷をおった万里阿尼は死を覚悟したと申しておりました。
しかし一人の老婆が万里阿尼を救いました。この老婆は産婆としてこの部族の者達と共にいるのですが、信じる神が違うということで何か別の扱いを皆からされておるものでした。ここで一命を取り留めその後この老婆の下で万里阿尼は医術の修行をつんだということです。
そして何年かした頃この部族はどこかの白人の部族と戦争状態になりました。再び魔女扱いをされてはならぬということで老婆は万里阿尼と胡人（ソグド人）の旅の隊商に身を隠しました。ところがこの隊商の隊長は万里阿尼を奴隷として誰かに売り飛ばしたのです。
万里阿尼は奴隷船に乗りこの国に来たということです。何日もの日をかけ、幾つもの港に付き、また船を乗り継ぎこの国に来たといいます。ペルシャ人は海の道と風の道を知る部族と言っておりました。巧みに船を操ります。海の上を船は疾走し、平原を駆ける馬のようだと申します。
船の中で万里阿尼は船員達にひどい扱いを受けたようです。もう二度と故郷に帰れない、遠く遠く離れてしまった、観念したと申します。
万里阿尼は全く言葉も通じないこの国で、化け物扱いされ、皆にさげすまれ下働きをさせられました。、万里阿尼は失意のどん底で体をこわし、路傍に打ち捨てられたそうです。物珍しさで捨て値で売られたのでしょう。誰からも省みられなかったそうです。
そのような万里阿尼を見つけ連れ帰り看病した墨染めの衣の僧の一団がありました。仏門の三階教の一団です。私もこの者らに助けられたのでした。
三階衆の僧達は、いえ三階宗そのものが他の仏門の僧達と少し、いえかなり違っておりました。彼らは貧しく省みられない者、また極悪人をもかばっておりました。正しき者、善を行う者より、貧しき者、悪しき者は幸いであるともうします。私は不思議に思いました。私はこの考え、この者達にいたく惹かれたのでした。
『三階教』
三階教は善智識「信行」（541〜549）が始祖である。当時佛教の新興宗教と考えられる。浄土教と並び、相互批判的に大衆の支持を獲得していた。開皇の初年に召されて長安・真寂寺（唐時代は化度寺と言われる）に入り、住し、ここで没した。
魏州衛国(現在、河南省清豊県付近)の出生（５４０）であり、十七歳の時に「善智識を求めた」とある。
師は慧瓚・明胤の系統と、地論宗南道派の慧光・道憑・霊裕等が挙げられる。ただこれにとらわれず、当時の北魏が東魏・西魏に別たれても北朝仏教の都であった『鄴』が新たな佛教の揺り籠であったかもしれない。
頭陀乞食行(十二頭陀)・常不軽菩薩行(法華経・人間礼拝)・無尽蔵行(布施・利他)を特に重視しする。
信行が教えを求めえた善智識は四人。光厳寺慧定・厳浄寺道進・王善行・王善性である。彼らは無尽蔵行の実践者である。そして彼は「二百五十戒」(具足戒)を捨て沙弥に身を落とし労役に従事し、悲田・敬田を供養し、出家在家に礼拝した。
具足戒は労働を禁じている。しかし彼は貧しき者、卑しき者の為に奴となり、労役することを望んだ。この姿は日本における「行基」と、その姿は似ていないだろうか。
その思想は十六種無尽蔵行の実践である。これを正法・像法・末法の時機に対応し、人の根機に対応し衆生を救うのであろうか。没後(５９４)には捨身供養として終南山に林葬し供養される。
＜三階教の研究＞
しかし彼らは自らの真摯な実践に過ぎる余り、他派を誹謗し軋轢を生む。開皇二十年(600)勅断により活動を禁圧される。証聖元年(695)三階教籍は仏籍より排除される。聖暦二年(699)に則天武后により更なる禁圧を受け、開元元年(712)には『無尽蔵』(民衆救済活動事業資金貯蓄)を廃される。開元十八年(730)『開元釈教録』にて、三階経典は「偽経録」に編入される。(お釈迦様のお経ではない、とされる。)しかし貞元十六年(800)撰の『貞元新定釈教目録』では「真撰」と判断され大蔵経中編入され、偽経異端の汚名を晴らす。
しかし後に再度『貞元録』より排斥される。この頃に宗派は解体している。中国にては欠本扱いとなる。
しかしこの経典は海を渡り日本に来ている。永久・保安頃（1113〜1124）の写本である法隆寺本、長寛・嘉応(1163〜1171)の京都興聖寺本、鎌倉期の東大寺聖語蔵本の三種四巻である。東大寺聖語蔵には隋経・唐経として大蔵経が揃う。そして正倉院文書には繰り返し写本される記述が残る。
これらは長安の大慈恩寺にて玄奘三蔵に学んだ道昭が、この頃長安を含め北中国で隆盛していた三階教教籍を他の経典と共に日本に持ち帰ったと推察されている。この頃、三階教徒「神�掘廚聾者�三蔵の訳経に参加していた。道昭の在唐期間とも重なり交流があれば教籍の収集も容易である。
また則天武后の三階教弾圧以前に道昭は第四回遣唐使船（６６１）にて帰朝しているので教籍の持ち帰りに何の問題も無かった。
また禅院寺から借りて三階経の根本典籍「明三階仏法」二巻、「略明法界衆生根機浅深法」一巻を書写したとの、天平十二年の写疏所解の記録もあることから、三階教は日本に命脈を保つ。
禅院寺は三蔵玄奘に学び帰朝した道照が、元興寺(法興寺)の東南隅に立てた寺であり、行基もここで修業したのだ。
後に『霊異記』に鈍根破壊の僧尼譚が十二章あり、天平期より仏教の深層に根を下ろす。否、行基の活躍が、観想哲学に流れがちな仏教を行動哲学に転化させたのだろう。禅院寺にて行基は山林修業に終止符を打ち、三階宗の僧のように聚落に出て人々に仏法広く説くことが重要な課題と認識するようになる。
＜行基と律令国家 吉田靖男著 ｐ70〜７６＞
ログインしてコメントを確認・投稿する