■北方領土、5割強が「今後もロシア」=3年前と変わらず−外務省が対日世論調査
(時事通信社 - 05月22日 20:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5630590
“戦争暴言”丸山穂高議員 国後島で「女を買いたい」と外出を試みる!
https://bunshun.jp/articles/-/12009
丸山氏は“戦争暴言”の後、「俺は女を買いたいんだ」と禁じられている外出を試み、事務局スタッフや政府関係者ともみ合いになったという。売買春は日露両国で共に違法行為である。
元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏が指摘する。
「戦争発言よりも、外出の方が大問題です。丸山氏が酔っ払ったまま敷地外に出ていれば、ロシア警察に保護されるはずです。しかし日本政府としてはロシアの管轄権を認められず、釈放を要求するしかない。そうなれば一気に外交問題となり、北方領土交渉に影響を及ぼしかねません」
ま、エラソーなことホザいてても所詮こんなモンですわw
東大出て経済産業省に入省してても、所詮ティンコでしかものを考えられない
志もへったくれもない下衆野郎な訳です。
もっともコイツの場合、経産省っても「原子力保安院」つー福島第一原発の
安全基準を安っすく見積もって日本を亡国の危機に陥れた官僚だったワケで
官僚時代でも「亡 国」
議員になっても「亡 国」
首尾一貫して、亡国まっしぐらの「戦争・買春」議員さんですw
大日本帝国憲法発布以来130年
日本国憲法発布以来70年
憲政史上、また外交史上こんな亡国バカ議員を見たことありませんw
こういう男を「 売国奴 」と呼びます。
プーチソたんも、さぞやお怒りのことでしょうw
もうイイです。プーチンさん、コイツ(丸山穂高)シベリアの収容所送りで
無期懲役にしちゃってください!w
日本とロシア(旧ソ含む)その外交の歴史は、
・三国干渉
・日露戦争
・ノモンハン事件
・ゾルゲ事件
・終戦後侵攻
等の悲しい不幸な歴史も多々有りました。
その反面、江戸時代から幕末にかけて
驚くような行動力や人間力で民間外交を成功させた人物もいました。
大黒屋光太夫 と 高田屋嘉兵衛 です。
両名とも一介の「伊勢白子の船乗り」や「淡路島の商人」でしたが、
大黒屋光太夫は漂流の果てに
遂に独力で、ロシア大女帝「エカテリーナー2世」に
日本人としては初めて謁見し、日本と云う国を直接紹介し、
また帰国を嘆願し
生きて日本に帰還しました。
また、高田屋嘉兵衛は、露西亜に拉致されながらも
日露双方の誤解を解き、幕末一触即発状態の日露関係を
回避させ修復し、日露和親条約のお膳立てをした人物です。
両名とも無学な船乗りなれど、露語も最初喋れず苦労しますが、
最後には驚異的な人間力とコミュ力で多くのロシア人から畏敬の念を集め
別れを惜しまれたと伝わっています。
大黒屋光太夫については井上靖の「おろしゃ国酔夢譚」を
高田屋嘉兵衛については司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読むと良いでしょう。
東大出の無能なアホ議員より、百万倍も外交に有能で国益に貢献した人物達です。
ココで、彼らと肩を並べる日露外交史基礎を築いた人物をご紹介したい。
江戸幕府 日露和親条約 締結担当 勘定奉行
「 川 路 聖 謨 (※(かわじ としあきら)と読みます)です。
【

川路聖謨 江戸幕府勘定奉行】
【

ロシア側カウンターパートナー プチャーチン中将】
かいつまんで説明すると、ペリー来航から遅れること1ヶ月、
ロシアも負けじと米国と同条件で開国を要求しに来ました。
その交渉のさなか、「安政の大地震&津波」に襲われ、
ロシアから乗ってきたディアナ号を失います。
条約交渉と平行して、川路とプチャーチンは協力し合い、
ロシア人が図面を引き設計し、日本が木造で船を作る
日露合作造船プロジェクトを発足させ、
日本初の「洋式帆船ヘダ号」を完成させ、
ロシア人を本国まで帰還させるのです。
そして、その中の若き船大工「上田寅吉」は、その後
勝海舟や坂本龍馬と日本初海軍操練所に学び、
オランダに留学して、日本初の蒸気船「咸臨丸」「観光丸」
を造船し、後の帝國海軍横須賀造船所の初代所長になります。
奇しくもそこで日露戦争・日本海海戦で活躍する軍艦を
多く建造することになります。そして後年日本の造船の父と呼ばれます。
川路は、幕末江戸城開城の日に、幕府に殉じて非業の最期を遂げますが、、、
その能力と愛すべき人柄で多くの逸話を残しています。
生まれは極度の貧困の中、両親の極めて厳格な教育を受けて育った。後年、弟の井上清直とともに、両親の愛情と苦労を偲んで2人して泣いたという。
子供の時に疱瘡を患い、あばたを沢山残す。眼は金壺眼で、引っ込んでいる。後年、半身不随になってしまう。
日課は超人的である。午前2時に起きて執筆、読書をし、夜が白んでくると庭に出て、刀の素振りと槍のすごきを平均2千回行う。その後来客の相手をし、午前10時に江戸城に登城、午後5時まで勤務する(この時代の役人の勤務は普通10時から2時まで)。家に戻ると既に客が待ち構えているので、一緒に晩飯を食べながら話を聞く。酒は飲んだが1合までで、それ以上は絶対に飲まない。客の応接が済むのが午後10時頃で、それからまた執筆、読書をして12時に寝る。睡眠時間はわずか2時間、気が張っていたため平気だったと言われている。
佐渡奉行時、佐渡金山採掘に従事する鉱夫、人足の悲惨な情況について記録している。
5年間奈良奉行を勤めたが、その間に川路の呼びかけにより、桜と楓の苗木数千本株を東大寺から興福寺を中心に植樹したという。それを記念する石碑が奈良市興福寺近くに「植桜楓之碑」として残っており、碑文は川路の自筆だと言われている。また貧民救済に尽力している。
日露交渉の応接でロシア側は川路の人柄に魅せられて、その肖像画を書こう(写真をとろう)とするが、それを聞いて川路はロシア人に「私のような醜男を日本人の顔の代表と思われては困る」と発言し、彼らを笑わせた。この時、プチャーチンに随行していたイワン・ゴンチャロフは次のように書いている。
「川路を私達はみな気に入っていた。(中略)川路は非常に聡明であった。彼は私たちを反駁する巧妙な弁論をもって知性を閃かせたものの、それでもこの人を尊敬しないわけにはゆかなかった。
彼の一言一句、一瞥、それに物腰までが、すべて良識と、機知と、炯眼(けいがん)と、練達を顕していた。明知はどこへ行っても同じである。」
プチャーチンは帰国後に「日本の川路という官僚は、ヨーロッパでも珍しいほどのウィットと知性を備えた人物であった」と書いている。
この後、1887年(明治20年)、プチャーチンの孫娘のオルガ・プチャーチナ伯爵は所縁の地戸田村を訪ね、そこに100ルーブルの寄付をしている。その後の歴史の激動の中にも両家の交流は続き、2008年(平成20年)にも日露修好150年を祝っている。
日本でのピストル自殺第1号といわれている。
三代目桂米朝の口演による落語『鹿政談』では根岸肥前守の代わりに奈良奉行時代の川路が主人公となっている。
上記の日露和親条約締結秘話の奇跡のSTORYは
日露合作でアニメーション化され、ロシア国内では、
何度もテレビでONAIRされてるようですが
日本では一向に放送されません。
きっと丸山穂高のような反露バカ勢力が邪魔してるんじゃないかと
思うまんもちゃんですw
【日露合作アニメ 『 幕末のスパシーバ 』 】
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