■福島第1原発、解体延期=排気筒にクレーン届かず−東電
(時事通信社 - 05月20日 19:31)
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こうした「不測の事態」を、「言い訳」として受け止められるヒトと、「言い訳にならない」と受け止めるヒトが出てくるようだ。
その違いは、もともとの原発やF1事故への「考え方の違い」から、生まれている。
この1.5m背丈が足りなかったクレーン問題は、「アンダーコントロール」の論理からいうと、「想定内」なのか?「想定外」なのか?
しかし「F1の津波対策をシカトした」論理は、「1.5m足りないクレーンを作った」論理と、体質は同じDNAだろう。
未だ「テロ対策」が出来ていない平和ボケ日本の原発も、「まだ起きてないから、考えなくてよい」という理屈だったんだろう。
しかし最終処分場も決まらないままに、膨大な費用と時間をかけて「見切り発車」を続けてきた「国策」というのは、「敵の姿が具体的に見えて無い」から続いている、「ゴースト相手の負け戦さ」みたいなもので。
そうしたフェイク体質は、事故処理のためのクレーンの設計にまで出てきてしまう。
まるで実際に戦闘する気がないで、「だったら、良いな」で作った、役にたたない戦闘機のようなもので。
高校生のロボコンですら、もっとまともなモノが、生まれてる。
なんであれ、現代日本の原発ガバナンスの「ていたらく」は、敗戦を敗戦と認めない認知不全の老軍人クラブの所業を思わせる。
去年の夏の猛暑のなか、「運動しなくちゃ」と突然ベッドから炎天下の運動場に出てきた老夫婦に出会ったことがあるが。
これを制止しないことは、運転能力を失った高齢者に、車を運転させるのと同じだろう。
「悪化、劣化、衰退」という平成時代の日本を表現するキーワードは、なにも高齢者だけの専売ではない。
原発村全体の認知力の検査測定に、きちんと目を向けないと、「三輪車で高速道路を逆走したがるワガママな三歳児」のような事故は止まらないべ。
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