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2019年05月17日22:30

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三馬鹿トリオ欧州へ行く No3

さて、以前の続きで残りのスペイン編ね

という事で、フランスの次はスペインへ移動だけど、自由フランス軍の将軍の名を冠したシャルルドゴール空港からバルセロナにはシャトル便で移動したんだけど、これが嬉しいことにボーイング727るんるん
トライスターと並び称される3発機で尾部にある引き込み式のタラップを使えたのは飛行機好きの自分にとってはある意味最高の思い出
ただね、この時ですよ前に書いた「スペインでゴーアラウンド(着陸やり直し)された」ってのは・・・
バルセロナ空港にもうすぐ到着するって時に着陸体制に入って順調に高度を下げてあと少しで着陸って時にいきなスロットルを開けたらしくエンジン音が大きくなり上昇をはじめました
みんなで「どした?」と思っていると何やらアナウンスがあったんですが、英語すらろくにわからない人間がスペイン語やフランス語が解るはずもなく、気分は「俎板の鯉」状態
まぁ、もちろんその後に着陸したんだけど、他のヤツの話によると「外を見ていたら窓枠からはみ出るほど近くに別の飛行機がいたからニアミスだ」との事
でも考えてみれば、バルセロナに限らず発着便数の多い空港では数をこなす為に、滑走路が2本平行に並んでいるのはよくある事なんだよね

例としては、羽田と成田には34Rと34L、大阪は32Rと32L とか
ちなみにこの34とか32の数字はその滑走路の方位を指しているので34とは340°(北北西)へ向かって着陸進入する滑走路、北風用の滑走路って事で、南風の時には反対から侵入するので34滑走路の反対には16と書いてあり、管制も16R、16Lとなるのね
蛇足だけど、なのでGメン75の75という滑走路はありえない(古い古すぎる・・・)
もし、あったら方位750°って2周廻って30°っておかしいでしょ?もし75°の滑走路なら07か08となるはずだからね


その後は、コロンブス像やサンタマリア号のレプリカなどを見てからは、この旅で一番楽しみにしていたガウディの作品群を巡ります
ガウディ?って方もいるかもしれませんので簡単に説明すると車のアウディではありませぬ\(`´)オイ
まぁガウディーは知らなくても「サグラダ・ファミリア」はご存知だと思いますが、その「サグラダ・ファミリア」の設計者さんです
お恥ずかしい話ですが自分は高校くらいまでは「サクラダ・ファミリア」だと思ってた 
(*^∇^)ゞポリポリ

ガウディの作品は「サグラダ・ファミリア」の他には「カサ・ミラ」や「カサ・バトリョ」、「グエル公園」などへ行ったけど、どれも素晴らしかった〜
改めてガウディが好きになったよ♪

途中で市場を通った時にあまりにも美味しそうだったので「トマトでも食べようか」ってなったんだけど、あまりの安さにビックリexclamation
なんと、1Kgで日本円にしておおよそ200円くらいげっそり
まぁ、あまりにも昔で参考にはならないけね・・・(^ー^)ゞポリポリ

ただ、スペイン名産の革製品を買わなかった事が心残りだなぁ
なにせ、貧乏学生の悲しさ&旅行終盤ってのもあって、手持ちのお金&帰国後の生活を考えると手が出せなかったんす泣き顔

んで、時代はバルセロナ五輪より前なのでバルセロナ五輪の時にはマラソンで映る景色に「あっ、ここ行った」だの「ここ通った」だのと周りとは違った視点で楽しめたよるんるん

スペイン編が短いのはほとんどをガウディ巡りだったんで、他があまり記憶がないってのが正直なトコかなぁ
その分、ガウディ巡りは堪能できたからまぁ良いか


その後は、もう一度ヒースローへ戻り、ヒースローから今度はアンカレッジで給油して成田へ帰国しましたとさ
そもそも、アンカレッジで給油しなきゃならないって事だけでも、いかに遠い昔の話かご理解いただけるかと・・・
今は、旅客機の足が長くなったので給油しなくても届くようになったもんなぁ

そう言えば、「この日程の場合、トランジットのみのイギリスと、寝てる間に通過したスイス、給油のためのアンカレッジ(アメリカ)は行った事になるのかなぁ?」などと日本に戻ってから三馬鹿で言いあってたのも懐かしい思い出だなぁ
結局は答えは出てないんだけどね(><)


その後はご存知のとおり、三馬鹿は相変わらず一人減ったのものの心は三馬鹿のまま今に至ります

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コメント

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