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2019年05月12日23:28

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魔法少女の系譜、その96

 今回の日記は、断続的に連載している『魔法少女の系譜』シリーズの一つです。前回までのシリーズを読んでいないと、話が通じません。

 前回までのシリーズを読んでいない方や、読んだけれど忘れてしまった方は、以下のシリーズ目録から、先にお読み下さい。

魔法少女の系譜、シリーズ目録その1(2014年01月22日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=25849368&id=1920320548
魔法少女の系譜、シリーズ目録その2(2018年12月24日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969682470&owner_id=25849368

 今回も、前回に続き、『タイムボカン』を取り上げます。
 『タイムボカン』の起源となるような、口承文芸は、あるでしょうか?

 これは、ほぼ、ないと言えます。
 「きょうだいでも、夫婦でも、恋人同士でもない男女二人組が、主人公」という話は、口承文芸には、ほとんど、存在しません。

 口承文芸で、男女二人組が主人公というと、たいがいは、きょうだいです。それも、「兄と妹」という組み合わせが多いです。
 有名なところでは、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』が、そうですね。ヘンゼルが兄で、グレーテルが妹です。二人の兄妹が、両親に森に捨てられるところから、話が始まりますね。

 日本の『山椒太夫【さんしょうだゆう】』のように、姉と弟の組み合わせも、少ないながら、あります。姉の安寿と弟の厨子王【ずしおう】ですね。

 口承文芸で、男女二人組が主人公の場合、大部分が、血のつながりがあるきょうだいです。夫婦や恋人同士が活躍する話は、現代人の感性からすると、驚くほど、少ないです。
 ましてや、血のつながりのない、「友達以上、恋人未満」の少年少女二人組というと……皆無に近いと思います。おそらく、こういう男女の関係が許されるようになったのが、歴史的に新しいからでしょう。

 この点だけを見ても、『タイムボカン』が、現代的な創作物語であることが、わかります(^^) 伝統的な口承文芸の範囲を、はるかに抜け出ています。

 敵役の「三悪」についても、新しい部分があります。
 悪役に女性がいることは、とりわけ、ヨーロッパの口承文芸では、目新しくはありません。ヨーロッパの口承文芸では、「魔女」が、お約束の悪役ですものね。
 「三悪」の一人の名前が、「マージョ」なのは、明らかに、ここを意識していますね。

 マージョの下に、グロッキーとワルサーという、二人の男性がいます。この三人の上下関係は、はっきりしていて、マージョがずぬけて上です。グロッキーとワルサーとは、対等です。
 男女混合の組織―三人しかいませんが(^^;―の中で、女性をトップに持ってくるのは、一九七〇年代には、画期的でした。フィクションでも、現実の社会でも、女性が男性の上に立つことが、非常に少なかった時代です。
 なぜ、そういう関係なのかという説明は、作品中には、ありません。

 あえて言えば、この「説明のなさ」が、『タイムボカン』と、伝統的な口承文芸とに、共通しています。
 マージョたち三人の関係もそうですし、彼ら三悪が、普段、何をして生活しているのか(いつも丹平と淳子に負けて、ダイナモンドを入手できていないのに、どうやって食べているのか)、なぜ、タイムマシンなどという超ハイテクな機械を持っているのかといったことが、まったく説明されません。

 それは、丹平と淳子の側についても、言えます。まだ中学生の丹平が、なぜ、タイムマシンの開発に関われたのか、しょっちゅうタイムボカンに乗って旅をしていて、学校はどうしているのか、淳子は、やたらお祖父ちゃん(木江田博士)にこだわっているけれど、両親とか、他の親族はいないのかといったことは、説明されません。
 すべて、「こういうもの」ということで、話が進んでゆきます。この点については、伝統的な口承文芸と、似ています。

 『タイムボカン』については、このように、説明をいちいち入れなかったことが、良かったと思います。そこをばっさり切り落として、代わりに、コメディ成分や、メカ成分を、てんこ盛りにしました。
 さらに、伝統的な口承文芸にはほとんど登場しない、「友達以上、恋人未満」の主人公たちを登場させて、掛け合いを楽しく見せました。
 伝統的な口承文芸の「いいとこ取り」をしたわけです。

 『タイムボカン』の「説明のなさ」は、この後の『タイムボカンシリーズ』の作品に引き継がれました。
 主人公は、「友達以上、恋人未満」の男女二人組です。なぜそういう関係なのかは、説明されません。主人公たちは、タイムマシンに匹敵するような、超常的なメカを操りますが、宇宙人でも超能力者でもない少年少女が、なぜそんなことができるのかは、説明されません。

 「三悪」についても、そうです。彼らはいつも悪だくみをしては、失敗します。なのに、どうやって食べているのかは、説明されません。女性リーダーがやたら偉そうなのも、なぜそうなのかは、説明がありません。

 こういった作品の特徴は、『タイムボカンシリーズ』の型となりました。説明なしで使える、お約束です。「タイムボカンシリーズと言えば、こういったもの」で、視聴者が、納得してくれました。『水戸黄門』などと、同じです(笑)

 『タイムボカン』は、伝統的な口承文芸から抜け出して、それとは別に、新たに、独自の型を作った作品でした。偉大ですね(^^)
 この型は、その後、一九八〇年(昭和五十五年)放映開始の『オタスケマン』まで、続きます。五年以上も、基本的に同じ型で、視聴者を魅了し続けました。どれだけ、優れた型だったのか、わかりますね(^^)

 『タイムボカン』の、男女二人組、少年少女主人公という発想は、伝統的な口承文芸でないなら、どこから来たのでしょうか?
 これについては、確定的な情報はありません。ただ、私の推測では、意外なところから、ヒントを得ている気がします。

 それは、『学研のひみつシリーズ』です。

 『学研のひみつシリーズ』とは、かつて、学習研究社(現・学研ホールディングス)から出ていた、学習漫画のシリーズです。『宇宙のひみつ』、『恐竜のひみつ』、『からだのひみつ』、『地球のひみつ』など、『○○のひみつ』という題名のシリーズでした。
 このシリーズは、宇宙や恐竜や人体や地球などについて、漫画でわかりやすく解説してくれます。

 『ひみつシリーズ』にも、型がありました。主人公は、まず間違いなく、少年少女二人組です。彼らに解説してくれる「はかせ」も、ほぼ間違いなく登場します。それ以外に、マスコット役や、主人公たちを引っかき回すトリックスター(宇宙人などであることが多いです)も、よく登場します。

 一九七〇年代に、普通の漫画では、「男女二人主人公」は、極めて珍しいものでした。それが、『ひみつシリーズ』では、延々と続いています。
 最初の『ひみつシリーズ』である『宇宙のひみつ』、『恐竜のひみつ』、『からだのひみつ』などが出たのが、一九七二年(昭和四十七年)です。『タイムボカン』の放映開始より、三年前ですね。
 『ひみつシリーズ』は、大人気でした。一九八六年(昭和六十一年)まで、毎年、コンスタントに出ています。その後も、断続的にはなりましたが、二〇〇〇年まで、続いています。

 同時代(一九七〇年代)に、これほど子供たちに受けていたものが、他に波及しないわけはないと思います。
 『ひみつシリーズ』は、学習漫画という、ちょっと毛色の変わった分野だったために、その影響が、見過ごされているのでしょう。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『タイムボカン』を取り上げる予定です。

2019年05月16日追記:
 この日記の続きを書きました。
 よろしければ、以下の日記もお読み下さい。

魔法少女の系譜、その97(2019年05月15日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971536902&owner_id=25849368


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