「不公平な愛」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/5/12(日)【1475】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19928 〈写真入り記事〉
今日は母の日でした。両親が健在であり、クリスチャンホームで育ったことに関して、今更ながらに、感謝だと思いました。
もし私が、親に捨てられたり、親から虐待されたり、悲しく、不幸な環境で生まれ育ったとしたらどうだったでしょう。今どんな人生を生きていたかわかりません。想像も出来ません。
一つわかることがあります。
神にあっては、すべてのマイナスがプラスに変わることです。
人間的な面において恵まれた環境に生まれ育った人が、必ずしも祝福されているかというとそうではありません。
現状で満足してしまうと、神様の愛によって心を満たすことが難しいからです。
しかし、不幸な環境で育った人の中には、意固地になり、自分を呪い、自分の人生を呪い、神を呪っている人を知っています。
私は、その人にこそ、そのままで終わってほしくないと強く願います。心が痛みます。
神様の愛は、マイナスが大きいほど、もっともっと大きな愛で愛して下さいます。
それは、不公平だと思えるほどです。
しかし、もし、この不公平な愛を知らないまま生き続けるとしたら、なんと悲しく、なんと理不尽なことでしょう。
この人が、神様の愛を知ったとしたら、その愛だけで満足し、満ち足りて感謝できる人になれると思います。
その一人の人のためにも、伝道を続けたいと思います。
今日は、夕方の礼拝が終わった後に、新大久保駅でチラシを配り、路傍伝道をしました。
半分以上が外国人で、日本人は多くはありません。
恋人同士で手をつないで歩いている人が多くいます。
しかし、その中に、寂しそうな顔をして歩いている人がいます。
その人にこそチラシを受け取ってもらいたいです。
もちろん、神様の愛は、すべての人に向けられ、注がれています。
こちらで人を選別することは出来ません。
しかし、この世で苦労し、報われない人生を生きた人にこそ、神の愛を知っていただきたいと思います。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
伝道後には、インドネシアの料理屋さんに行って、なまずの定食を食べました。
なまずはおいしいですが、なまずの顔が、蛇のそれと似ているので、どうしても食べられませんでした。
私が不幸な環境の中に生まれ育ったり、インドネシア人として生まれたとしたらどうだっただろうかと、ふと考えました。
いろいろな人を知ることは難しくありません。
その人に心を開いて声をかけて、話しをすることです。
親しくなれたら、伝道も出来ます。
自分であることを変えることは出来ませんが、いろいろな人と関わることはできます。
今日も明日もあさっても、伝道したいと思います。
神様の不公平な愛を伝えたいです。
ログインしてコメントを確認・投稿する