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2019年05月09日17:59

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私の生の刻印

私の生の刻印


 私が生まれて間もない頃、親父の肩車の上で親父の髪の毛をかきむしるのが好きだったらしい。
だから、親父は河童だ、毛は少ない。
少し生長して小学生低学年の時、親父と風呂に入っていたときしきりに親父のちんちん引っ張って遊んでいた。弟は同じ風呂で親父の乳首絞って変な液体出したよ。

中学の頃、あるとき親父に畑に呼び出された。
聞くところによるとおかんが私の部屋で失神していたのだという。
掃除しててベットの下の大量のエロ本見つけて失神していたらしい。
私のおかんは純粋なのだ。
親父からエロ本はもっとましなとこに隠せと説教受けるがそんなに隠せる所などないと思う。

そんな純粋なおかんなのだが小学生低学年の時一緒に風呂に入っていたとき、自分の股とおかんの股と比べて「おかんの股はどげんなっとるとーーーー」と言っておかんの股を広げてまじまじと見たのを覚えている。
当時おそらく恥じらいというものをおかん見せてたよ。

小学生低学年の時、友達と遊んでいた時、せいじ君という人物がいたと思うが遊んでいた時どうしても名前を思い出せない。どうにか思い出したかと思ったら「ソーセージ君」と言っていて相手を泣かせてしまった。

やんちゃ?だが愛情たっぷり受けて育ったと思う。しかし、過保護なんだ。

小学生低学年の時トンボの絵を描く宿題があった。しかし、出来が上手く描けすぎたらしく親父もおかんが手伝ったと疑った。
学校持っていった時、クラスの誰もが親が手伝ったと言う。
「私が描いたのに」という思いは残った。

時は過ぎ今度はクッションを作る宿題が出たのだがおかんが「私が作る」と譲らない。
私は自分が作ってもと思いおかんに任せた。

その結果、クラス全員を敵にまわした。誰もがおかんが手伝ったと言う。

何が原因だったか今は覚えていないが言い争いなのかイジメなのかあったとき親に相談した。
そしたら親はその相手全員を親ごとよんでむたくたした。
その間隣の襖で何か言いたかったが当時の私に物事を明確に説明できる力はない。

何かあれば親に相談すれば問題は複雑で悪化する。
悪循環は止まらなかった。

私は図書室にこもる癖がついた。
漫画で書いた相対性理論やNewtonをよく読んでいた。

中学卒業まで絶対の孤立は続く。

高校から何があっても親には相談しないことを決め実験的人間関係の試行錯誤は続く。
しかし、勉強はどうでもいいと思っていたので成績は悪かった。
私がやっても認められないという思いがあったのだ。

高校卒業後ベーカリーの仕事につくが私にその才能はなかった。
ふやかしたり焦がしたりばかりであった。
ストレスがたまるがそれからNewtonのような科学雑誌を買い始め、自作の太陽系形成論を作ってこれが証明されたら会社をやめられるとか思っていた。
体重が39キロまで落ちて会社を辞めた。

職を転々とするがストレスがたまれば本を読む癖、オナニーで無理矢理解消する癖は定着していった。
職場の寮に親が押し掛け上司から怒られるが親はそれでも押し掛ける。
蒟蒻が気持ちいいと聞いて切れ目入れて使ったことあるが親は捨てていた蒟蒻を発掘して料理しようとするのでとても困ったりした。

親はどこまでもついてくる。それが私の悩みであった。
それでも収入の問題で家に帰るしかなかった。

心理学哲学政治経済科学様々な本を読み漁り熟成されて自ら小説書くようになった。

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