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2019年05月03日11:34

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自己中心から神中心に

「自己中心から神中心に」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/5/3(金)【1466】」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19902 〈写真入り記事〉

伝道をしている時に、「キリスト教が嫌いなのは、すぐに人を罪人(つみびと)呼ばわりするところだよ」と言われたことがあります。

それを聞いてすぐに思ったのは、
・罪と犯罪を混同している
・自分は善人だと思っている
・「人に迷惑をかけていない」など、主観が基準になっている

聖書が教える罪とは、人は神によって創造された。だから、人は本来、神と共に生きるように造られている。しかし、祖先であるアダムとエバは神を捨てて、悪魔に従った。悪魔の奴隷となり、自己中心に生きるようになった。

これが罪の大元である原罪です。

人がどれだけ自己中心かというと、自分が自己中心であることがわからないほど自己中心なのです。

宇宙の中にある太陽系を例に取ります。

太陽を神に、地球を人にたとえると、地球は、自転しながら、太陽の周りを公転していますが、太陽も、月も、星も、すべてが地球を中心に回っていると勘違いしている状態、これが自己中心な状態です。

昨日、新宿西口のマクドナルドに行きました。レジが2階にあるため階段を登っていました。後ろから、猛スピードで近づいて来る足音が聞こえました。

レジは2列で、後ろから来た人は、空いている方のレジに並び、私は、少し混んでいる方のレジに並びました。

日本語上手な西洋系のダンディーなおじさんの店員が、要領が良かったために、後ろから来た人よりも、私の方が先に番が回ってきました。

その時に、「すいません、すいません、すいません・・・」という声が聞こえたので、店員と私は声が聞こえる方を見ると、「こちらも並んでいるんですけれど・・・」と、怒りを抑え、不満そうな顔でこちらを見ていました。

店員は、「レジの前に並んで下さい」と、笑顔で一蹴しました。

自分の番が回って来た時には、鼻息が荒く、怒りを抑えられないような感じでした。

これを、交通にたとえるならば、2車線の道路を走行中に、私の後ろを走っていた車が、空いている方の車線にレーンチェンジして追い抜いて行きますが、しばらくすると、私が走っていた車線の方が早く進みはじめた時に、クラクションを鳴らして、「私の方が先に走ってたんですが・・・」と言っていることに似ています。

そのマクドナルドでの出来事には驚きました。

人は自己中心な存在だとつくづく感じました。

しかし、そのマクドナルドで腹を立てた人の気持ちがわからないかと言うと、そうではありません。

それが理解出来ないとしたら、それこそ自己中心です。

自分の立場から人を見ていることになります。

相手の立場になって考えて見ると、
・お腹が空いていた
・イライラしていた
・急いでいるのに、前にいる男(私)はのんびり階段を登りやがって、邪魔なんだよ
・おっ、良かった。空いてる方に並んじゃえ!
・しかし、せっかく空いてる方に並んだのに、何だよ、俺の方が遅いのかよ
・店員の奴、チンタラやってるんじゃねーよ

その時、店員の西洋人は、笑顔で、この人に丁重に対応しました。

私も、よっぽど、「後ろから追い抜いていって、先に番が回ってこなかったからと言って腹を立てるのは筋違いじゃないですか!?」と言ってやろうとも思いましたが、相手に乗ってはいけないと、瞬間的に神様の導きを感じました。

私は自分の中で戦いましたが、神様の導きによって、怒り、争うことから守られました。

私も、その人に腹を立てたというのは、自己中心の性質があるからです。

しかし、神様の助けによって自己中心を放棄し、神中心を選ぶことが出来たのです。

「わたしがあなたを赦したように、あなたも人の自己中心な振る舞いを赦しなさい」と、言われたような気がしました。

人は、自己中心な性質を、祖先のアダムとエバから受け継いでいるので、自己中心な考え方をし、自己中心に生きてしまいます。そして、他者の自己中心が赦せないのです。

しかし、神を信じ、神を中心に生きる生き方を選択するならば、これを悔い改めると言います。

神中心に生きれば生きるほど、自分の中での葛藤や争いが減り、他者との争いが減り、心には平和と幸せと喜びを感じられるようになります。

世の中には、常識があり、穏やかで、自己中心とはほど遠い生き方をしている人がいます。

自己中心な性質を持っていても、ある程度はセルフコントロールが出来ています。

しかし、そのような人ほど、他者の自己中心に対しては厳しいものです。

自己中心が丸出しの人よりは、セルフコントロールが出来る人の方がいいに決まっていますが、「仏の顔も三度まで」と言われますが、どんなに温和な人でも、何度も理不尽なことをされたら、怒り出して当然です。

これが、人間の領域の限界です。

イエス様は、「7を70倍にして赦しなさい」と言われ、実際に赦して下さいました。

この赦しは、水に流すとか、怒りを堪えながらの赦しではなく、ご自分が十字架にかかって、罪の刑罰をすべて身代わりに受けての赦しなのです。

まずは、神の無限の赦しを受けて下さい。

聖書では、「7」という数字を完全数と捉えます。「7を70倍して赦しなさい」とは、「無限に赦しなさい!」ということであり、「無限にあなたを赦します!」と言っておられるのです。

あたかも、一度も罪を犯したことがないほどまでに、過去を赦し、現在を赦し、未来に犯すであろう罪にまで、完全な赦しを与えて下さるお方です。

神の完全な赦しを受けた人は、感謝が沸き上がり、人を赦せるように変えられて行くのです。

平成から令和に時代が変わったように、あなたの時代も、自己中心から神中心に変わって生きて行きましょう。
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