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2019年05月01日09:06

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よたよた日記121「街場の消長」

■平成の30年間で「消えた24の仕事」「新たに生まれた25の仕事」
(AERA dot. - 04月30日 17:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5602716

「短い間にずいぶんたくさんの仕事がなくなっちゃったんだね」
「そのせいで中産階級って階級そのものもなくなったのさ」
「でも新しい仕事もどんどん増えてるんでしょ?」
「ああ、おかげで新貧困層って階級が誕生したんだよ」

ハードワークが続くせいで足の裏にマメができて痛いが弱音は吐かずに後半戦を乗り切ろう

元号が変わったとニュースが騒がしいが、元号制度や天皇制などというのはやみくもにもてはやすべきものではない。もっと静謐に丁寧に取り扱うべきものだ。浮ついた熱情に浮かされて、記号や象徴を弄びすぎるとろくなことはない。自分たちの日々の暮らしや個々の尊厳というのは時代の上に乘って成り立っているのではない。自分たちの暮らしや個々の尊厳こそが時代という記号を支えているはずだ。単なる記号や象徴だと思って元号や天皇制を甘く見てるとまた痛い目に遭うかもしれない。時代に翻弄されるのがイヤであれば自分たち個人個人の生き様や考え方をもっとしっかり鍛えなければいけないと思う。

20年位前に小学校のPTA役員をやってた頃に運動会への地域住民の参加が少なくなって、なんとか運動会への参加を呼び掛ける檄文を書いたのだが、その頃からずっと時代の凶暴さについては注意を払ってきた。今回の新元号騒動とは違うかもしれないがちょっと載せておこう。

『時代の貌』 


気が付くと時代が私達を追い越している
半歩先に見えるのは時代の背中だ
時代が地域を置き去りにし
時代が私達を取り残していく

思い出せばあの頃
運動会の日
校庭には、赤や黄や青の応援旗がはためいていた
ランナーの耳には隣のおばちゃんの声援が届いていた
拍手は地響きのように聞こえたし
絶叫や悲鳴が大空に舞い上がってもいた
地域の総意はすべて運動会の日にあった
まだ時代が私達と地域とに向かい合っていた遠いあの頃

しかし今、時代は記憶と郷愁だけを置き土産に
私達の前を遠ざかっていく
振り向きもせず
挨拶もなしで
まったく時代ってやつは油断がならない

いったい時代の真意はどこにあるのだろう?
時代を生きるってことはどういうことなのだろう?

どんどん時代の後ろ姿が小さくなっていく
もう時代の顔さえよく思い出せない
でもいまならまだ間に合う
せめて運動会の日ぐらいみんなで
どうだろう
時代の本意とやらを確かめてやろうじゃないか
そしてもう一度見返してやろうじゃないか
時代ってやつの貌を
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