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2019年04月25日10:48

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地に足をつけて生きていこう

「地に足がつけて生きていこう」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/25(木)【1460】」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19876 〈写真入り記事〉

地に足をつけるとは、現状を受け入れることです。

地に足をつけると、そこに、目に見えませんがイエス様が待っておられ、しっかりと受け止めて下さいます。

イエス様に抱き抱えていただき、イエス様と二人三脚で歩いていくことが、最善の生き方です。

一人の人を、地に足をつけて生きない実例としてあげます。

クリスチャンで、ビジネスをする人です。いつも大きなことばかりを考え、夢のような話ばかりをします。しかし、実際に成功した体験がありません。

「仕事をしながら伝道がしたい」と言うので、私は、今すぐにはじめられることを提示しました。

「マンガの小冊子を出会う人に配って伝道して下さい」と言いました。

1回目に勧めた時には、「こんなのを配っても読む人はいない。もっと面白いものを作ったらいいですね」と答えが返って来ました。つまり、「No!」です。

2回目に、毎日道を歩きながらポスティングをするようにと勧めると、「そんなの配っても無駄ですよ」と答えが返って来ました。また「No!」です。

3回目に、駅の前で通行する人に配ることを勧めると、「これを配っても誰も受け取ってくれませんよ」と答えが返って来ました。またしても「No!」です。

4回目に、家に郵送しますので住所を教えてほしいと言うと、話をそらしました。「No!」です。

5回目に、「一緒に車に乗って配りに行きましょう」と勧めると、「車二台で行って、どちらが早く配り終えるか競争したら面白いんじゃないですか!?」と答えが返って来ました。「No」とは言ってないけれど、限りなく「No」に近いです。

6回目に、「このマンガを読んでクリスチャンになった人が何人もいるんですよ。これを使って伝道しましょう」と言うと、「東京には外国人が多いので、外国語のマンガが必要です」と答えが返って来ました。また、「No」とは言ってないけれど、限りなく「No」に近いです。

7回目に、「マンガを配って伝道しましょう」と勧めると、「教会の連絡先を入れないと、読んだ人が教会に来れないので、名前を入れないとダメです」と答えが返って来ました。

もう「No」とは言わせたくないので、「自分の名刺を挟むか、空欄に自分で連絡先を書いたらどうですか?」と言いました。

今までは、口で「伝道したい!」と口ぐせのように言いますが、言うだけでやったような気持ちになるのでしょうか、具体的に何もしようとしないのです。

私は対決しました。

口では理想を語るけれど、ああ言えばこう言うだけで何もしようとしないですね。まずは小さな一歩を踏み出して下さい。そうしたら、やがて大きなことにつながっていきますから」と切り込みました。

そうしたら、ついに観念して、「先生、私の住所を教えますので、四百冊送って下さい」と、一歩踏み出す決心をしてくれました。

あとは、郵送されたマンガをどう使うかです。倉庫にしまい込むこともできますが、そうさせたくないので、一緒に配って、伝道することの喜びを知ってもらおうと思います。

このような実例をあげたのは、私たちも、案外、地に足をつけた生き方をしないで、口では大きなことを言っても、行動していないことがあるのではないかと思うからです。

行動する人は、多くを語りません。なぜならば、やっているので語る必要がないし、有言実行の厳しさを知ってしるので、そう易々と語ることができないことを知っているからです。

もちろん夢を語っていいし、語るべきだと思います。しかし、行動する人が語る言葉と、口だけの人の語る言葉では、言葉の背後にある力や迫力がまるで違います。

地に足がついた生き方は、完全燃焼しながら生きています。さわやかな笑顔があり、充実感に満ちています。

その人は、一歩一歩確実に行動し、小さな成功を収め、何をしてもやり抜く人です。

今の現状は、理想とは程遠いものかも知れません。しかし、そのままを認め、受け入れて下さい。

そこでイエス様が待っていて下さるので、イエス様と出会って下さい。そして、イエス様と一歩一歩着実に歩んでいきましょう。
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