4月19日に東京・池袋で起きた87歳運転のクルマが暴走して死傷者を出した事故で、報道は「飯塚幸三さん(87)が運転する車が暴走し」と「さん」付けで言い、3日後の21日に神戸で起きた、こちらも死傷者を出したバス事故では「市営バスを運転していた大野二巳雄(ふみお)容疑者(64)」と言っている。
池袋・87歳の暴走事故
https://abematimes.com/posts/7000550
神戸・市営バスの急発進事故
http://news.livedoor.com/article/detail/16351259/
この扱いの違い、基準はどこにある?
ネットでは前者の経歴に対する「忖度」だなどと言われ、両者を比較するまでもなく、当然ながら「さん」付けの報道に激しい疑問が投げかけられている。
高齢者と言われ、世間で分類されがちな世代の起こす交通事故は増える一方で、闇雲に排出される運転未熟者の割合も増加の一途、高齢化社会と言われる昨今では自動車の国内販売台数が減り、天文学的に膨張した自動車関連企業の衰退に歯止めがかからない。
そこへ来て未熟運転者と五体鈍化の老齢運転者の増加。
これでは不幸な事故の巻き添えが減るわけがない。
自動車に必要なものは、熟達した運転能力、つまり正確に反応できる能力だ。
それが自動車を安全に操作する絶対条件だ。
60歳であろうが70歳であろうが、よしんば100歳であろうが、そう言った瞬間の判断力とそれに敏感に反応する五体があれば事故は免れる可能性が大きい。
衰えているから事故は免れない。
いざというときの脳と体の瞬発力、これがすべてだ。
この検査、審査を行わなくては安全な走行を担保する運転免許というものに何の意味も価値もない。
もちろん、世代に関係なく。
しかし、世代が進んだら更新頻度は累進的に疑って実施されるべきだ。
そして、等しく犯罪者ならば、その扱いも等しくあるべきだ。
それは司法でも報道でも、必ず、等しくあるべきだ。
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