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2019年04月20日02:18

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1年前に、「運転をやめると」といっていながら、

■池袋事故、死亡は母娘 運転の87歳「アクセル戻らず」
(朝日新聞デジタル - 04月19日 20:27)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5588651

この87歳の男性に、まだ運転させていたものは、何だったのだろう?

今、私の周囲にも、いろいろな老人グループの活動のなかで、周囲の状況を考えずに暴走して、仲間に迷惑をかける高齢者が、結構な数で存在するが。

そうした暴走老人の周囲では、老人同士で、互いの認知不全を客観視できずに、自分たちに甘く、他者に厳しくヘイト感情をむける、彼らには快いお茶のみ仲間が、親密な相互依存関係を結んでいる。

外部からみると、仲間外れにされないために、「仲間内のオカルトじみた価値観への忠誠度」は、ますます進んでいるが。
その曖昧で気まぐれで不合理な、日替わり価値観共同体の「弱点への不感症」は、腐臭を放っている。

そして彼らは、そうゆう安定状態こそが、「老後の暮らし」と思い込んでいるが。
実はそれは「老醜の世界」で、高齢者でも創造性が少しでも残る老人は、「古い自分を捨てて、前に進む営み」を、最後まであきらめていない。
高齢化による、性格や思考の「先鋭化」は、高齢者特有の行動パターンであるが。
むしろそのことを利用して、晩年の10年15年を費やして、大きな仕事に挑戦し、成し遂げる老人は、大勢いる。


で、この事故を起こした87歳の男性に、自分の運転能力を過信・幻想させた「環境」こそが、今回の事故の、本当の犯人だろう。


非行少年が、一人で生きていないように。
暴走老人も、一人では生きていない。
だから「暴走する危険度」が高い、「危ない高齢者」というのは、必ずしも「個人の資質・脳の老化」だけでなく、狭くとも、その言動を支える「周囲の生活環境」からも、考えておく必要がありそうだ。

「功成り名を遂げた老人」の末路が、親子以下多くの人達を殺傷する事故に終わったことは。

その状況に彼を追い込んだものが、何だったのかを考えておかないと。

もうすぐ74歳になる、後期高齢者直前のワタシとして、おちおち「老後」は迎えられない。


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