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2019年04月15日11:15

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夢幻能

先日、マイケルに高砂の話を聞いて
それからスルーしてたら
君、忘れたの・・・?
なんて言われて思い出したことがある。

高校の美術の時間に和凧制作があって
確か半年くらいかけて
和紙に好きな絵を描いて竹ひごを張って、実際に飛ばせる凧を作る、なんてのがあった。

半年、なんて長いスパンだし
元来いい加減な性格だったから
ほぼ3〜4ヶ月は友達と教室で別のことをしたりして遊んでいた。

その間に真面目な生徒は
青森のねぶた祭りの絵柄だったりと
凄く凝ったデザインを描いていて
提出期限が刻々と近づいてきた時期に
はて、私は何を描こうかなぁ・・・
なんてさすがに焦り始めた。

今から凝った絵柄は間に合うわけがない。
でも中途半端なものでは、つまらない。

考えに考えて
そうだ、これにしよう!

私の選んだデザインはこれ。

フォト



能面。

背景も白のまま、
シンプルに女面を描いた。

大胆で独創的だって、
美術の先生には結構いい評価をしてもらって(笑)
真面目に描いてた友達に
ズルいわ〜なんて言われたっけ(笑)


この日記を書くために能について調べたのだけれど
能には「現代能」と「夢幻能」というものがあって
下のリンク先からの抜粋で

http://www.the-noh.com/jp/sekai/forms.html

星星星星星星星星

「現在能」では、現在進行形で話が進んでいきます。「夢幻能」は、演目の中で現実と夢が交差して話が進行するので、物語を追いかけるのはちょっと大変ですが、どの曲も構成が似ているので、パターンとして捉えることができます。

夢幻能の流れ
旅人がある土地を訪ねて、土地の者に出会う 
  ↓
その者が土地にゆかりの出来事や人物について話す
  ↓
最後に、「私こそ、そのゆかりの者だ」と言い残して消える

ここまでの前半を「前場」といいます。この後、主人公がいったん幕の中に入り、「中入り」となります。

中入りの後、再度主人公が登場し、物語の後半「後場」となる

旅人の夢の中にその者の霊が現れ、昔の出来事について舞ってみせ、旅人の夢が覚めるとともに、消えていく

それでは、実際の作品をもとに、この構成についてみてみましょう。

「井筒」の構成
ここでは、「井筒」という作品をとり上げます。「井筒」は、伊勢物語を典拠とする世阿弥の夢幻能の代表作です。物語のあらすじは、次のようになっています。

[前場]
ある秋の日、旅の僧が初瀬参りへの途中に、大和の国の在原寺に立ち寄り、寺にゆかりのある在原業平とその妻の冥福を祈っていると、ひとりの里女が現れます。

女は、井戸の水を汲み、古めかしい塚に手向けると、僧に、業平は他の女性のもとにも通っていたが、そんなときも業平を気遣う娘の真心に打たれ、その娘のもとに帰ったのだ、と告げます。さらに、「ふたりはもともと幼馴染であり、この井戸のそばでよく遊んでいたのだが、成人して夫婦となった。自分こそは、井筒の女といわれた有常の娘だ」と正体を明かし、姿を消します。

[中入り]

[後場]
僧は、寺に来た里人から井筒の女の話を聞き、その化身を弔うことにします。僧が仮寝をしていると、夢の中に井筒の女が現れ、業平の形見の衣装を身に着けながら舞いを舞います。そして、井戸に自らの姿を映しては業平の面影を求めるのでした。やがて夜が明け、井筒の女は姿を消し、僧も夢から覚めていきます。


この話では、前場で、里女が旅の僧に業平と井筒の女のエピソードを語り、「実は自分がその井筒の女の霊だ」と正体を告げ、消えていきます。中入り後、後場では、井筒の女の霊が旅の僧の夢に現れ、業平の形見の衣装を身に付け、在りし日の業平を慕いながら舞うという展開です。昼間、旅僧の前に現実の女として現れた井筒の霊が、夜には旅僧の夢に昔の姿で現れるという夢幻能の形式となっています。

星星星星星星星星


つまり夢幻能というのは、死者の霊、怨霊などこの世の者ではないものがシテ(主役)となる能のこと。


この井筒という作品を読んだときにも
なんだかなぁ・・・
って思わせられて
マイケルが亡くなってからの10年に起こった様々な出来事・・・

現実と夢の狭間で生きてきた自分を見るようで
胸が締め付けられる思いで
耐えられなくて涙があふれた。

寂しくて切なくて悲しい・・・

でも
君は生きなきゃいけない・・・

探して、探して、探し続けてくれたんだから。
そして約束したから。

私はこれからも彼と夢幻能を舞っていく。

フォト





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