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2019年04月06日18:10

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◎ 新元号は「令和」 ◎

「若さ」第481号
※ 四方山話 ※

◎ 新元号は「令和」 ◎

   5月1日に即位される新天皇の新元号は「令和」と決まりました。
 4月30日に平成天皇が退位され、5月1日に新天皇が即位されるため、即位の1カ月前となる4月1日の制定・発表となりました(平成天皇の場合は、昭和天皇の薨御があってからの制定・発表でした)。
 4月1日(月)11:41、総理官邸において菅義偉官房長官が新元号の「令和」を発表しました。
 「令和」の出典は、「万葉集」の「梅花の歌三十二首」の序文にある「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」からの引用と説明しました。

 「梅花の歌三十二首」は、天平2年(730)の正月、太宰帥(長官)(現・福岡県太宰府市)の大伴旅人邸の梅園で山上憶良など約30人が集まって「梅花の宴」で詠まれた大伴旅人(665〜731)作とされています。

 菅官房長官の発表に続いて12:05から、安倍晋三総理大臣が談話を発表して「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と説明しました。
 記者の質問で万葉集を選んだ理由では、万葉集が天皇や皇族から農民まで、身分に拘わらず幅広い層の人の歌が収められていることを挙げ、「一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。 そうした願いを込めた」と語りました(総理も、SMAPの「世界に一つだけの花」を知っていた)。

 万葉集は、日本最古の和歌集で、天皇、貴族から下級官人、農民、大道芸人など様々な身分の人々が詠んだ4500首以上もあり(うち作者不詳が2100首以上ある)、天平宝字3年(759)淳仁天皇までの約130年間の歌が全20巻に分類収録されています。 
 体裁が整ったのは、宝亀11年(780)光仁天皇の頃にかけて編さんされたものとされています。 万葉集は、日本文学における第一級の史料であるばかりでなく、表現や詠み人の出身地などから方言学の資料としても貴重な史料となっています。

 後日談として「安」だけは避けて欲しいとの総理の意向があったようです。
 「令和」と決まりローマ字での元号表示は、  明治はM、 大正はT、 昭和はS、 平成はH、
令和はR、となりました。   
 現在、元号を使っている国は我が国のみで、公文書では従来どおり西暦を使わず、元号の表示となります(5月から「令和」元年)。
    
 我が国の初代天皇は、神武天皇ですが(西暦前660年)元号はありません。 
 元号は西暦645年、孝徳天皇(36代)の大化元年から始まります。
 以後「上位」した天皇は64代の多くに及び、その理由は災害など弔事を理由としたものでした。

 最初の譲位は645年、35代の皇極天皇が在位3年で退位し、655年・白雉6年に斉明天皇と改名して6年間、天皇に在位しました。
 その後、119代光格天皇が、1779・安永8年〜1816・文化13年(江戸時代)まで37年間在位して譲位したのが直近の例となっています。

 明治22年(1889)に制定された大日本帝国憲法および旧皇室典範第10条にて、天皇の崩御によって皇位の継承が行われることが規定され、天皇の譲位を認めないことが明文化されました。
 昭和22年(1947)に施行された日本国憲法および皇室典範においても、皇位の継承は天皇の崩御によってのみ行われることを定めており、天皇の譲位は認められていません(皇室典範第4条「天皇が崩じたときは皇嗣が、直ちに即位する」)。

 5月1日からの新元号「令和」の提案者や決定への経緯については公表されていませんが、諸条件を分析した結果として報道されている事項は次の事柄があります。
 4月1日、政府が有識者による「元号に関する懇談会」(上田良一:NHK会長、大久保好男:日本民間放送連盟会長、鎌田薫:日本私立大学団体連合会会長、榊原定征:前経団連会長、白石興二郎:日本新聞協会会長、寺田逸郎:前最高裁長官、林真理子:作家、宮崎緑:千葉商科大学教授、山中伸弥:京大教授。以上9人)や閣議などに示した全6案は、国書から「英弘」「広至」「令和」。漢籍から「久化」「万和」「万保」でした。

 最終的には従来の漢籍からの引用から、初めて国書(万葉集)からの引用となりました。
 「令和」の提案者は、国文学者として平成25年に文化勲章を受章されている中西進(89歳)とされています。  
 中西さんは、東京大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。万葉集研究の第一人者とされており、平成6年には今上天皇により歌会始めの召人に任じられています。

 「平成」から「令和」への経過を辿ってみると、先ず平成28年の今上天皇のお言葉から始まりました。
平成28年(2016)
 8月8日(月)赤口 晴れ時々曇り 25.3度〜32.4度(東京) 
 平成天皇のおことば
 象徴としてのお努めについて(抜粋)
 「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。私も80を超え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。」・・・・・
 「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。」・・・・・
「始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。
 そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。   国民の理解を得られることを、切に願っています。」                                      
平成29年(2017)
 6月16日(金)友引 晴れ 17.5度〜29.0度(東京)
 天皇の退位等に関する皇室典範特例法、平成29年6月16日・法律岱3号・公布。
 平成31年(2019)4月30日に施行予定の、第125代天皇である(平成)今上天皇(明仁)の退位等に関して皇室典範の特例を定めた法律。 
 特例法の内容。 本文・趣旨の抜粋 (現行の皇室典範には譲位はない)。
 第1条(趣旨)
 この法律は、天皇陛下が、昭和64年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、公的な御活動を精励してこられた中、83歳の御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として深く案じておられる。

 皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。 

 第2条(天皇の退位及び皇嗣の即位)
 天皇はこの法律の施行日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。  

 12月1日(金)大安 
 皇室会議(10人)
 安倍総理が皇室会議の議長。 衆・参両議長、宮内庁長官など。
 決定・官報で公示。
 31年4月30日 平成天皇が退位。
   5月 1日 新天皇(現・皇太子)が即位。 

 平成30年(2018)
 8月15日(水)大安 晴れ 27.2度〜33.1度(東京)
 戦後73年、平成で最後の全国戦没者追悼式。天皇皇后両陛下が御臨席。
 今年の陛下のお言葉では「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節を加え、「世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と結ばれた。

 12月23日(日)
 平成天皇が85歳の誕生日(天皇として最後)。
記者会見で、「天皇としての旅を終えようとしている」「支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と涙声で語り、象徴としての歩みを振り返り、「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と述べられた。
来年(平成31年)4月(10日)に結婚60年を迎える(美智子)皇后さまについて「長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」と感謝の気持ちを述べられてた。 

 平成31年(2019)
 1月16日(水) 新年恒例の「歌会始の儀」お題は「光」 皇居・宮殿。 
 天皇陛下
   「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」  
 皇后さま
   「今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく」
 皇太子さま
   「雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰の峰に」  
 皇太子妃雅子さま
   「大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に」

 4月1日(月)官報号外(号外特第9号)・独立行政法人国立印刷局。
 政令
 元号を改める政令をここに公布する。  御名 御璽
 平成三十一年四月一日  内閣総理大臣 安倍晋三
  政令第百四十三号    元号を改める政令 
  内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。     元号を令和に改める。                
  付則  この政令は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成二十九年法律第六十三号)の施行の日(平成三十一年四月三十日)の翌日から施行する。              
  内閣総理大臣 安倍晋三

 告示
 内閣告示第一号
 元号を改める政令(平成三十一年政令第百四十三号)の規定により定められた元号の読み方は、次のとおりである。  令和れいわ           
 平成三十一年四月一日  
  内閣総理大臣 安倍晋三  
                                             ・・・ 以上 ・・・
    ❀ 花丸で  日記に大書 新元号      若さ
    ❀ 令和へと 心新たに  三時代      若さ

※ 今日は何の日 ※   
6日 明治15年(1882) 板垣退助(45歳)自由党党首が岐阜で相原尚裂?に襲われた。「板垣死すとも自由は死せず」は有名。伊藤、松方、大隈内閣で内務大臣。天保8年4月17日〜大正8年7月16日、82歳没。

6日 明治42年(1909) 米ロバート・ペアリー中佐が北極点征服。

7日 昭和20年(1945) 42代目内閣総理大臣に鈴木貫太郎(41代小磯)。

7日 昭和20年(1945) 戦艦「大和」撃沈される。(大和:6万9千百排水トン、27節、46センチ三連装砲塔3基。史上最大戦艦)(以下・経過)
   4/5 15:00頃、三田尻沖から「海上特別攻撃艦隊」出撃命令。
   4/6 16:45 「大和」発進。 22:15米潜水艦が艦隊の動静を全軍に打電。
   4/7 12:35 「大和」米艦載機との砲・銃撃戦開始。     
   14:25頃「大和」の最期。徳之島北方200海里(N30-43、E28-4)。 「大和」は米機からの魚雷12本のほか多数を被弾。一方「大和」の主砲(40cm)発射は3発のみ、残り1,167弾が誘爆、沈没。 第二艦隊司令長官・伊藤整一中将、「大和」艦長・有賀幸作大佐など戦死(戦死3,063人、生存269人)。残存・駆逐艦4隻、「冬月」「初霜」「雪風」「凉月」。(太平洋戦争6.12.8.~20.8.15.)。 
          
 8日 神武36年(前624)仏教の祖・釈迦誕生日(他説あり)。花祭り。

 8日 平成25年(2013) 英元首相マーガレット・サッチャー死亡(87歳)。

10日 昭和34年(1959) 皇太子明仁親王(25歳)と正田美智子様(24歳)御成婚(現・天皇皇后両陛下)。テレビで生中継(テレビの普及急増)。

10日 昭和63年(1988) 本州四国連絡橋・児島〜坂出ルート(瀬戸大橋)全線開通。(神戸〜鳴門ルートは平成10年。尾道〜今治ルートは平成11年。)全長37.3km。橋梁部9.4km。道路鉄道併用橋(唯一)として昭和53年(1978)3月23日着工。3ルート総工費:約3兆円。

10日 平成23年(2011)東京都知事選挙。石原慎太郎・当選・78歳・4選。23年東北地方太平洋沖地震(3/11)後の政局・与野党混戦の様相であった。

12日 昭和36年(1961) ソ連・有人宇宙船・ウォストーク1号が地球を一周。ガガーリン少佐「地球は青かった」。世界宇宙記念の日となった。

※ 季節の句 ※

             麗かや  松を離るゝ   鳶の笛     川端茅舎

             灯台は  女神のすがた 春光る     成瀬喜代

             満開に  号外の舞う   新元号      若さ

                                        第481号  以上






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