mixiユーザー(id:1492915)

2019年04月04日21:33

179 view

安倍は退任に追い込まれるか?

過去の改元では改元時の首相は半年以内に退任に追い込まれている。

■大正改元 明治45年7月30日

当時の首相は西園寺公望。陸軍大臣が辞任し、陸軍が後任を推薦しなかったことから12月21日総辞職に追い込まれた。

明治憲法下では、このように軍が簡単に首相を退任に追い込める仕組みが存在し、それが無謀な戦争へと突入していく原因となった。

■昭和改元 大正15年12月25日

当時の首相は若槻礼次郎。台湾銀行を救済するための緊急勅令を出そうとして枢密院から拒否され、4月20日、総辞職に追い込まれる。

(明治と大正、大正と昭和は日の途中で改元されているが↓以降は日の境界で改元されるようになった)

■平成改元 昭和64年1月7日の翌日。

当時の首相は竹下登。消費税の導入で支持率が低下していた上に、当時問題になっていたリクルートから竹下自身がお金を“借りて”いたことが発覚し、4月25日に内閣総辞職を表明(実際の退任は6月3日)。

「平成」を発表した官房長官の小渕恵三は平成10-12年に総理大臣を務めたが、平成12年4月2日に意識不明となった。総理大臣が死亡せず意識不明となる事態は日本の政治システム上想定外で「病床から青木幹雄を臨時代理に指名した」と発表されたが、まずありえない。しかしそうでもしない限り、日本の総理大臣が実質不在になるところであった。桜田門外の変で致命傷を受けたはずの井伊直弼が「瀕死の状態から養子を指名した」と発表された事件並みの「建前発表」である。青木臨時代理が内閣総辞職を決めて森喜朗が後継首相になる。


■令和改元 平成31年4月30日の翌日の予定。

当時の首相は(おそらく)安倍晋三。今年は7月下旬に参議院選挙がある予定である。安倍は12年前にも【亥年】の参議院選挙の後で、自民党が大敗したのに退任しない意向を示したが、批判が相次ぎ、突如として総理大臣職の職務放棄をするかのように唐突な退任をした。

9 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する