「謙遜と計算」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/3/30(土)【1438】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19794 〈写真入り記事〉
謙遜には二種類あります。本物の謙遜と見せかけで効果を狙った計算に基づく謙遜の振りです。
人間関係において、根回しが必要であったり、単細胞で正直でありさえすれば良いのではないということは、誰もが判っていることではないかと思います。
ずる賢い人は、見せ掛けの謙遜という計算に基づく演技をします。
心からの謙遜ではないとわかっていても、「それで良し!」とする人もいます。
あるいは、見せ掛けの謙遜をする人同士は、騙し騙され合うものです。
詐欺師は、「顔は笑っても目は笑ってない」と言われます。どこかに違和感を感じます。
相手を騙しているからです。
それは、見せ掛けの謙遜も同じです。それは偽善です。
聖書は、謙遜を教えます。
それは、見せ掛けの謙遜ではなく、本物の謙遜です。
本物の謙遜とは、真の自分を知ることから始まります。
神の前に立ち、神と向き合い、神と語ることです。
聖書を読み、神を信じ、神に祈ってみて下さい。
私は神に愛されている。神の目に高価で尊い存在である。しかし、神から離れていて罪人である。弱く神が必要な存在である、などなど。
ありのままの自分を知ったら、見せ掛けでわざとらしい謙遜も、謙って見せる演技も必要ありません。
堂々としていれば良いし、ゴマをする必要はないし、高ぶったり、威張ったりする必要もありません。
計算に基づく謙遜は必要ありませんし、害になります。
本物の謙遜な生き方をさせていただきたいものです。
それは、神と共に生きることから始まります。
神様に感謝を致します。
ログインしてコメントを確認・投稿する