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2019年03月29日00:36

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地下ヒーロー=桂木ヤコブソン、中の人=鮭オーケストラ(THE パフォーマー)

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前座、喜劇役者鮭オーケストラが演じるかっぱ研究家河田博のコントパフォーマンスが緩い笑いを誘い、何組かの出演を経て、やがて今度は桂木ヤコブソンとして挙動不審な動きをしつつステージに立つ。
ステージには威圧的サングラスの面々と、事務的スマイルの女性派遣社員。彼らの顔色伺い、おどおど登壇するうだつの上がらない男にとって、これが彼を取り巻く現実社会なのだ。
しかし男がひとたびギターを持つと一転、孤高で強靭なアウトロー、ヤコブソンは一気に虐げられた者たちのヒーローになる。
その変身の瞬間が、痛快なヤコブソンライブ。
新聞記者がスーパーマンになるなんてのは摩天楼貴族のヒーローだが、ヤコブソンはオタクが世界を救うゼブラーマンを連想させる、アンダーグラウンドのヒーローだ。
さっきまでの弱者がヒーローにメタモルフォーゼを目の当たりにして、場内は一気に興奮の坩堝。
彼の熱いメッセージ、韻を踏んだ怒涛の対句がビートに乗ってギンギン魂に響く。
バラードは魂に寄り添い荒れ狂ったテンションを<まとも>に戻しつつ、<お前ら>は毎日毎日劣等感に蝕まれてきた自尊感情を再生していくのだ。
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01 哀しみ喰い
02 頭の黒い鼠の仕業
03 遺書
04 ヤコブソンのラブソング
05 明星
06 俺vs
アンコール
07 メタファ
08 人生遁世交響曲

全8曲、シャウトして、人気者なれなかった君と俺のルサンチマンが音楽のエネルギーへと昇華された時、ヤコブソンは消える。
彼はステージ上にしか存在しない俺達日陰者のヒーロー。
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〇鮭は俺
このライブの面白さは、映画「カメラを止めるな!」の監督役日暮に通じるものがある。
肩をいからせ他人を恫喝して、やくざのように俺様化した日暮を演じる「中の人」は、実はすごい小心者で上からも下からも突き上げられひたすら平身低頭で気遣いする空気読みすぎる常識人というのが、映画の見所だった。
鮭本人が社会不適応者なのか、それとも「カメ止め」のように鮭も演じられたキャラクターなのかわからないが、少なくとも「鮭」のような奴が音楽に熱狂する客の深層心理にいることに気づかされるのが面白い。
「お前は俺か?!」と思わせるパフォーマンスがすごい。

外見似てるけど、矢沢のような不良系音楽でも、竹原のように自然体でストレートにメッセージを発信するシンガーソングライターでもない。
彼らのように現実社会では成功者になれない者が、この世の大多数を占める成功者になれない者達と痛みを共有し、音楽でつながる喜びを分かち合うのだ。
それが痛みと笑いのスパイラル。

〇真面目で謙虚なお人柄
鮭は俺を知らない。俺は鮭を知らない。
まだライブ1回しか見てないからね。鮭サポーターB氏からレポ書いてほしいと頼まれたので、あくまで一見の印象批評でごめん、期待に応えられなくて。
よく知らないのに、俺はうだうだ言うぜ〜。芸人はうだうだ言われてなんぼの存在だろ?
誰かに自分の思いを聞いてもらいたいから歌い、その評価を求めて、でも褒められると居心地悪い、うん、わかるよ、その気持ち。
ステージを降りた鮭君、上流社会の貴婦人たる俺様に
「大丈夫でしたか?ご気分を悪くされませんでしたか?」
と丁寧に敬語で気遣う君に俺は惚れた。そんなに俺って、怖い?

〇演技者
北海道フォークシーンに登場した若手アーティストも真面目な子が多く好感をもてたが、ヤコブソンのような「反骨(卑屈が反転すると反骨)」エネルギーを感じなくて物足りなさがあって、そこを補てんされた感じで個人的には満足した。それ以外の彼らとの違いというと、ありのままの自分を見せることを売りとするアーティストか、演技者であるのかという違いがありそうだ。

ありのまま自分は他人様に見せるほどの者でないなら、他人様に見せたい日常の自分とは違う自分を作って見せるのが、創作であり舞台芸術かもしれない。
でもどうなんだろう?ジキル博士とハイド氏は、演じていたはずのジキルがだんだんハイド氏に統合されていった。ハリーポッター最新作、表と裏のあるグリンルバルド、ナギニがそうであるように。
中の人が本当はこうありたいと思う者を演じているうちに、それが本当の自分になるのかもしれない。だとするなら、ヤコブソンこそが鮭の中の人ってことになる。鶏が先か玉子が先か、鮭が先がヤコブソンが先か、観察してると面白い。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=7Wr5SxZNIXQ
↑昭和懐かしいスーダラ節とか遠藤憲治のカレーライスっぽいようなw

〇スクールカースト
個人的には上記のような心理学的興味以上に、この日、なんちゃらアイドルとの共演だったのもあって(別に彼女らを批判するつもりはない)、どっちかというと、学校社会におけるいじめの構造をちょっと惹起してしまった。
この世には、2種類の人間がいる。虐める奴と虐められる奴。
スクールカーストは、派手なギャルが最上位で、コミュ障もっさり男子が最下層。
別に上位者は必ずしも世間一般のコミュニケーション能力が高いわけでない。クラスという特殊社会の中でいち早くネットワークを構築し、ターゲットを攻撃することでグループの結束を高める。なんであんなに強気で、彼らにとって弱そうで目障りな奴を攻撃するのか。閉鎖された教室内だから起きることだが、人格形成期に人格否定された側は、その傷が生涯に渡って自尊感情をゆがめる。
そんな奴らに殺されたくないよな<俺。
俺は3人の子育てで、一番自慢できること、それは一人たりとも虐めッ子はいなかった。別に正義感からではなく、いじめに同調するスキルがないともいえる。ターゲットになる子を攻撃する理由がわからない、上位者の言い分を理解できないので彼らと話が全く合わない。だから、いじめたりいじめられたりというグループ内の逆転現象にも一切拘わらない離れ小島に一人ぽつねんといるタイプ。時々派手な子達にいじめられることもあって、中学校まではスクールカースト下層だった。
かくいう俺も機能不全家庭で育って、変人だったから虐められたし、今も良くしゃべるコミュ障。
だから、鮭が俺の中にもいる。「鮭、お前は俺か?」と思えるわけ。

鮭オケ演ずる桂木ヤコブソンはスクールカーストの上位者でも不良でもない。真面目で
不器用だから虐げられるのだ。
彼の音楽に、スクールカースト最下層のレジスタンスを感じた。
見た目ほど攻撃的じゃないから、高度同調社会に生きづらさを感じる者は安心してヤコブソンのライブへ行くといい。元気になれる。

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このお姉さん達、迫力あったよ。
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