アイドル歌謡の美意識は屈折している――というのは、知っている人なら、良く耳にする議論。
歌っている歌手にとって、青春や思春期は現在進行形だが、作り手にとっては永遠に手にすることができない過去形である。この両者の絶対的な差異から生じる両義性のようなものが、アイドル歌謡ならではの独特な情感を生み出す。実際、アイドル歌謡には、作り手側の想いが混入しているケースがよくある。
と同時に、しっかり留意しておきたいのは、当のアイドル歌手にとっても、歌に表現された世界が現在進行形の自分自身と一致しない可能性があるということ。
つまり、アイドル歌謡が体現している世界は、作り手にとっても、歌い手にとっても、現在にも過去にも存在しない仮想現実かもしれないのである。そして、そのような「自分自身にも有り得たかもしれない光景」に対する想いが、アイドル歌謡の美意識の根底にある。
当然ながら、自作自演の音楽からは、こういう現象は滅多に生じない。
その一方、ドラマや映画は、アイドル歌謡と同じような構造・ねじれを持っている。
――なんてことを改めて考えてしまったのは、数か月前から好きだった曲(NCT127「City127」)をYoutubeで見たら、日本語訳がついていて、その内容に思わずうなってしまったから。
「朝の陽射しの中で、まどろんでいるような曲だな」と思っていたのだが、歌詞を読むと、夜の街(東経127度のソウル)を散策・徘徊(?)している、若い男女の歌だった。(ただし、韓国語だと、訳がどの程度正確なのか判断できないし、微妙なニュアンスもわからない。念のために複数の訳詞サイトをチェックした)
現在進行形の光景を描いていた歌詞は、終盤に入ってから過去形や未来形が登場し、最後に「現在進行形ではない視点」を示唆して終わる。
具体的には、
とても美しい星光に染まって 君が僕を見つめれば 止まる時間
一晩中光り輝くこの都市と 終わらない僕たちのストーリー
今の僕たちのストーリー
というサビの歌詞が、ラストでは
舞い散る星光の中で全てが美しい 僕たちを眺めれば 同じ時間
この都市で一緒に夢をみる 二度と来ないこの瞬間のストーリー
今の僕たちのストーリー
に置き換わる。
(英訳を参考にして、正確と思われるニュアンスに訳し直した)
現在進行形=当事者の視点・表現が、「舞い散る星光の中で全てが美しい」「同じ時間」「夢を見る」など、俯瞰的かつ客観的な視点・記述に置き換わり、「二度と来ない……」というキラーフレーズが登場する。
「City127」by NCT127
オチを知ってから聴き返す(読み返す)と、「何をしても楽しいはずさ」という一節などが、なんとも切なく響く。
連想したのは、ボクの高校時代にヒットした、イモ金トリオの「ハイスクールララバイ」(1981年)という曲。作詞が松本隆(作編曲は細野晴臣)だが、現在進行形の世界に、(不自然な)過去形が登場するところが、上の曲に似ている。
ねえ君 下駄箱のらぶれたあ
読まずに破くとはあんまりさ
可愛い顔をして冷たいね
廊下で振り向いた ハイスクール・ララバイ
この他にも
チョークが飛んできた ハイスクール・ララバイ
夕陽が落ちてきた ハイスクール・ララバイ
など。
松本隆は、おそらく実体験を歌詞にしたわけではない。同時期に「小麦色のマーメイド」(1982年)みたいな歌詞を書いているくらいだから。
歌詞に「裸足のマーメイド」とあることから、足がない人魚が「裸足」とは
どういうことか、という質問が多く寄せられた。これに対して作詞を担当した
松本は「ザ・ベストテン」にメッセージを寄せ、「ビートルズに『第八の日』と
いうという実際に存在しない曜日のことを歌ったものがある。
それと同じように、実際には人魚は存在しないけれど、歌は存在しないものを
歌うこともある。歌の中の彼女は、自分が人魚みたいだとイメージしているのだ」
という趣旨のコメントをしている。
(Wikipedia「小麦色のマーメイド」)
彼はおそらく「ハイスクール・ララバイ」においても、有り得たかもしれない高校時代の光景を、思慕の念を持って書いたのだと思える。
ちなみに、「City127」と「ハイスクール…」にはもう一つ共通点がある。楽曲全体に漂う浮遊感が、現在進行形の世界の現実感を薄めているところである。
「City127」は、歌メロの出だしをコードトーンにない音(テンションノート)で始めるなど、テンション音を多用することで浮遊感を生み出していると考えられるが、「ハイスクール…」についてはよくわからない。
ちなみに、「ハイスクール…」は、サビに入ると雰囲気が壊れて、安っぽい印象になってしまうのが残念。この辺は、商業音楽の難しいところ。一方、「City127」は、シングルじゃなくてアルバム冒頭曲なので、そうした欠点はない。まあ、このグループは大手事務所だからか、シングルでも目先のヒットは眼中にないような曲が多い。
……というようなことを、つらつらと考え込みながら、昨日は、昔見た映画やドラマのことなどをあれこれ思い出していました。ジャン・ジャック・ベネックスの『ディーバ』とか、岡田惠和の『ランデヴー』とか。
二度と来ない春分の日のストーリー。昨日のボクのストーリー。(^^;;
【追記】
松本隆といえば、『金田一少年の事件簿』の主題歌だったKinki Kids「恋からはじまるミステリー」も、上記の曲と同じような構造だったのを、思い出した。
曲の最後に、「恋はミステリー 電車に乗る 君の背中を密かに尾行した」という、過去形で回想モードの表現が登場し、その後に「時間は若さの見方だよ」とか「両手に時代を抱きしめて」など、歌詞に出てくる「ぼく」の言葉とは思えないようなフレーズが登場する。
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