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2019年03月18日21:40

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「天真療法」案内24

今回は、重態の患者に多くの薬を投与し、身体に負担をかけることを『菜根譚』からの引用で例えている部分を見てみます。
作為に奇を尚ぶものは、奇とならずして、異となる。多能は無能の真を完うするに若かず。(天真療法 P.12)
この文の前半は、『菜根譚』前集167からの引用で、後半は『菜根譚』後集2からの引用です。ここでも、「天真療法」の意図を考えて超訳風に訳してみますと、
現代語訳:
わざわざ奇をてらった治療を貴ぶものは、非凡ですぐれた治療とはならず、ただ変わった治療であり災いになるに過ぎない。多くの手をつくすことは、何も手を施さないように見えて自然の真理に従うことには及ばない。
この引用い続けて次のように言います。
体力が衰えて、心臓の働きが悪くなり、脈拍が弱くなると、誰でも強心剤の注射をやる。
成る程脈拍はメキメキ良くなる。けれどもこれは興奮のために、刺激されたのであって心臓其のものが強くなった訳ではない。丁度疲馬に鞭うつが如きものであって、一時は勢いよく駆け出すけれども、やがて来るものは疲労と困憊である。(天真療法 P.12)
と、一時的、場当たり的な刺激はかえって身体に深刻なダメージを与えることを警告して、『菜根譚』後集66から次の引用をしています。
人奈何ぞ、駆けるに火牛を以てし、誘ふに風馬を以てして、而して其の性に、自適することを思わざるや。(天真療法 P.12)
これも、「天真療法」の意図を考えて超訳をしてみます。
現代語訳:
人はなぜ尾に火をつけた牛を駆り立てたり、さかりのついた馬を誘うように刺激の強い薬剤を使用して、その病状におのずから適する安静を保つことをしないのであろうか。
次に、それならば具体的にどのようにすれば良いかを述べていますがそれは次回に見て行きたいと思います。
(写真は、春充の生家付近から見た富士山。手前は桂川の護岸)
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