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2019年03月16日17:17

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コトデンでGO!うどん列伝☆ファイル256−3 ラスト四日間&2019年地元スポット☆ファイル10 讃岐の蝋人形の館ラスト一週間。

テクテクと線路沿いを散歩と思わせておいて今回もコトデンにて古高松駅から乗車!
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ちなみにコトデンでは自社のIruCaだけでなく、全国で使われている鉄道系のICカードが沢山使えるんですよ!
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5駅先の松島二丁目駅で下車。
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徒歩にて高松刑務所の敷地を横目に北上して朝日町に入ります。
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まずは惜しまれて3月20日に閉店するうどん屋ぽんぽんに約半年ぶりに急遽来店。
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ここは出汁が美味しいので最後の注文はオーソドックスに、かけうどんの大(280円税込)をチョイス。
出汁も自分で入れるセルフスタイルで出してくれる丼には、うどん玉だけが入っています。ネギやおろし生姜をトッピングして別皿にはチク天(100円税込)と煮卵(80円税込)を揃えたところでお会計。
タンクに入った出汁を丼に注いで、お冷を注いで着席。
プンと香る出汁に弾力のある麺が讃岐のスタンダードを体現していて、何気ないチク天や他店にはあまり見られない煮卵などと共に感慨深く食べ納めしました。
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さらに同じ朝日町にある、これまた3月24日に25年の歴史に幕を下ろす讃岐の蝋人形の館こと平家物語歴史館で見納めを行いたいと思います。
・・・と言っても、もう10年半ぶりくらいの来館です。
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ん?蝋人形だけではない特別展もあるのかな?
正面から右側の通路に入った奥に入口があります。
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入館料は1200円ですが、私はJAF割で1100円。
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館内は10年前同様に撮影OKで前回日記より細かく紹介してみましょう。

まずは四国の偉人ゾーンから!
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入ってすぐに前回も紹介した讃岐出身の真言宗開祖にして四国霊場や高野山を開いた弘法大師・空海が鎮座しています。本当にこんなご尊顔だったのでしょうか?
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そして日露戦争を描いた坂の上の雲でも有名な秋山真之に水原茂などの野球の著名人の面々。時代はいろいろですな〜。
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前でふんぞり返っているのは三木武夫元首相のようです(笑)
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前方左から明治維新の元勲・板垣退助に吉田茂元首相。
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おぉ!郷土の元首相・大平正芳ではありませんか〜。
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菊池寛や正岡子規などの文学者たち。
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幕末志士・坂本龍馬と中岡慎太郎。
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画家の猪熊弦一郎で四国の偉人ゾーンは〆。
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さて、二階に上がってメインである平家物語ゾーンへ!
掻い摘んで紹介していきます。

まずは階段途中にある臨場感たっぷりの第10景「一の谷の合戦」。
※平家が屋島(高松)を本拠として城を構えて海を眺めながら戦いに備えていると、まさかの背後の絶壁からの義経の奇襲を現したシーン。平家は総崩れで逃げ出しました。
前列右・義経そして左・弁慶であります。
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第2景「平家にあらずんば人にあらず」。
※平清盛は保元の乱と平時の乱の両方勝利。異例の速さの出世で太政大臣にまで上り詰めます。それにより清盛の身内も高級貴族になり、平家が隆盛を極めた一場面。
タイトルは清盛の妻の兄(時忠)が「平家にあらずんば人にあらず」という傲慢極まりない言葉。
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この一角には、入館前にあった告知看板の企画展「平家の女たち」コーナーがありました。
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パネルだけなので読むだけですね!私の記憶にある面々をアップ。
女性を取り上げているだけあって最後の花瓶はセンスがいいと思いました。
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第4景「清盛の孫、摂政・基房を辱める」。
※資盛はわずか13歳で三位中将(さんみのちゅうしょう)位についており、道で摂政・藤原基房の行列とすれ違うが、馬から下りて礼することもなく通り過ぎようとします。
そこで「無礼だ」と基房の家来に馬から引き落とされました。それを聞いた清盛が大変怒って「基房にやり返してこい」と命令して、基房の行列を辱めている場面。
馬に乗っているのが平資盛で牛車に乗っているのが藤原基房。平家の専横的な驕りが分かる場面ですね!
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第5景「俊寛のみ赦されず」。
※平家を倒す計画(鹿谷の陰謀)が露見して島流しをされている場面。
その中でも俊寛は特に清盛に憎まれ、1度も本土に戻れることはありませんでした。
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第8景「平重衛、大仏を焼く」
※奈良の僧も敵側についたため、清盛は重衡を大将として奈良を攻めさせました。
寺や民家を焼いて回りましたが、中でも悲惨だったのが東大寺の大仏殿です。
大仏が溶け崩れ、敵が登ってこないようにと梯子をはずしていた老人や子供1700人が焼け死んだそうです。焼死者は3500人にもなったとのこと。
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第9景「清盛、高熱を出して死去」。
※遺言は「現世の望みはすべて達せられた。ただ1つ思い残すことは源頼朝の首を見なかったことだ。その首を私の墓の前にかけよ。」だったそうです。享年64歳。
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ここで平家物語ゾーン冒頭に繋がります。

第12景「那須与一、扇の的を射る」。
※「一の谷の合戦」で背後から攻められ、船で逃げ出した平家ですが、敵が少数だと知って激しく戦います。
夕方になり、合戦がやむと平家が挑発。小舟の竿の先に扇をたてて袴の美しい女が手招きしています。
義経は那須与一に扇の的を射るように命令し、まさに扇を打ち抜こうとしている場面。
結果、見事に打ち抜き、両軍から歓声が上がったと言われる屋島源平合戦のメインイベントですね!勢いが完全に源氏に向いた転換点となってます。
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第13景「安徳天皇、入水」。
※屋島の合戦で敗れた平家は西へ逃れ、得意とする海戦に持ち込みます。
源氏は水軍をもつ豪族を味方につけ、遂に壇ノ浦での決戦です。
初めは平家が優勢ですが、潮の流れが変わると源氏が平家を圧倒!
いよいよ清盛の未亡人である二位尼は覚悟を決め、まだ8歳の安徳天皇に「波の下にも都がございます」と慰め、まさに入水しようとする場面です。
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第14景「平教経、壮絶な最期」。
※「もはや勝敗は喫した。これ以上の殺生は罪作りである」という総大将、平知盛の言葉を受け、義経の首を道ずれにしようとします。
しかし、義経に逃げ切られると覚悟を決め「わしを生け捕りにしてみよ!!」と源氏方を挑発。教経を倒し手柄にしようとして組み付いた力自慢の安芸太郎、次郎兄弟を両脇に抱えながら海中に身を投げます。享年26歳。
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第15景「平家滅亡」。
※平家の心ある武将は、みな海へ身を投げた。
総大将、平知盛も「見届けるべきことは見終わった。今は自害しよう」と言って乳母子と共に海に沈みました。こうして平家は滅亡。
蝋人形のリアルすぎる描写が生々しいです。ちなみに壇ノ浦の戦いで平家は赤旗、源氏は白旗を掲げて戦いましたが、これが今の運動会でも赤組と白組に分かれる由縁です。
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第16景「祇園精舎の鐘の声」。
※御礼門院は、わが子、安徳天皇の後を追って入水したが、源氏の武士に引き上げられた。やがて人も訪れぬ場所で安徳天皇と平家一門の人々の菩提を弔う尼になりました。
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第17景「琵琶法師」。
平家物語の作者はだれか、いろんな説があります。
ただ、鎌倉初期に「平家物語」の原形ができ、その後様々に手が加えられたとされています。盲目の琵琶法師が民衆に語って聞かせました。今の一人で黙って読む小説とは違い、室町初期には数百人の琵琶法師がいて「平家物語」を語ったとされています。
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最後に驚いたのは見学している客までもが蝋人形の世界の一部に扮していること!!
いい仕事しています。
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振り出しに戻って来館記念撮影場で日付をパチリ!
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土曜日なのに、かなりの人の少なさでレトロな売り場も人を気にせず撮り放題・・・。
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蝋人形の数と精巧さは圧巻だったのですが、大きな企画展などの模様替えがないのと入館料の高さがネックになったのではないかと私なりに想像しながら・・・
高価な蝋人形がひたすら鎮座していた平家物語歴史館と名残惜しくサヨナラしました。
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