mixiユーザー(id:5437811)

2019年03月16日02:51

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農耕の自然破壊〜

狩猟採集の民族の事との関りで農耕民族は農業の根本的な欠陥に気付いてしまった・・・だからこそ狩猟採集民族の深い知恵に学ぶべきだとなります。
この狩猟採集民族の部族共同体の中には必ずと言って良いほど長(おさ)およびシャーマンと呼ばれる重要な役割が有った人格者が居た。
彼ら長とシャーマンの中で目覚めさせられた「滅んではならない」と選択をして
農耕と貯蓄に進んだもの¹や、
自然とまさに今まで以上に同化をした部族共同体²や
猟採集民族の各ヒト属の一種のネアンデルタール人の部族の様に結果的に滅びを選択した民族や種もいた³。

故に後付けとも当然ともいえる考えだが自然と同化した民族・種は当然自然保護(生態系保存)、環境保護に成る²。
農耕「貯蓄」を選択した民族・種は、環境破壊と生態系破壊を選ぶ事に成る¹。

農耕と貯蓄を選んだ中、パーマカルチャーとビオトープと言う考えが有るが農耕の近代合理化の中に農薬や化学肥料から耕すと言う農耕にアンチテーゼ(マチガッタやり方ではないか問題が有りすぎる改良変革して農耕を続ける)を投げかけて農薬や化学肥料を使わない環境に「やさしい」(自然環境保全や自然環境復活ではない)自然同和管理的な趣旨などで。

ビオトープは人の原因で壊された自然を「自然環境に優しく自然の物を使い」生態系を復活させる趣旨が根源にある。
これは自然環境破壊を進めた農耕民族が自然と向き合い学ぶとき有効な手段であり、多数派であるという奢りを捨てて狩猟採集民族の深い知恵に学ぶべき道すがらの辻に立たされた選択をしなければ成らない姿と思っています。

*縄文時代一部の部族では栗を栽培してたと言う説もあるがむしろ栗が生えている所に住居を構えたから住居を構えた所に栗を生やしたに代わったと思っている。

農薬や化学肥料を使わない農業を一家族単位でする事と専業農家でする事は、巨大貯蓄資本を利用する事となり必ずや本音と建前が起きて巨大資本に飲み込まれていく事が常で、理想と現実の差異を認めた姿になる、第一次産業の「百性」を支えるのには市民参加=結い(相互援助)が本来の姿で。

例えば、生活保護者や失業中若しくは義務教育の間百姓の四季を政府支援の体験学習で4期×3日=12日は必要であろうと考えている。
更にこの際収穫期には、12×8000円=9万6千円分の農業製品引換券を参加者は渡される。


また、*重要課題として小さな(例えば2町歩以下の)「無農薬有機栽培百性」の農作物の輸送経費は、行政が50%保証する事でを第一産業の小規模「無農薬有機栽培百性」を保護育成する事に成る。

この政府支援の「無農薬有機栽培百性」体験学習の百性参加と保護育成で理想と現実の差異は小さくなるであろう。
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