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2019年03月14日20:20

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YESTERDAY TODAY WHAITE DAY

3月14日

かなめ石

 神は父であり私たちはその子であるといってよい。要するに良い考えというものはいつも単純なのだ。この考えこそが、私たちが自由になるためにくぐった、新しい凱旋(がいせん)門を作るかなめとなる石なのだ。

アルコホーリクス・アノニマス 90ページ

 要石とは、くさび形の石で、アーチを形成する他の石片が動かないように固定する最上部の石を指す。他の石片とは、ステップ1、2、そして4から12までを言う。このように言うと、ステップ3が一番大事なステップであり、それ以外の11のステップは3番目を頼りにし、支えて貰っているように思える。しかし実際には、ステップ3も12の中の1つに過ぎない。これは要石ではあるが、基盤やアームの部分となる他の11の石がなかったら、要石があろうと、なかろうと、アーチは完成しない。12のステップすべてに渡って毎日実践することで、勝利のアーチが私を迎え入れてくれ、自由という次の一日へと進んでゆける。

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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行

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3月14日

 私は回復できるだろうか? このことがもし「もう一度普通に飲めるようになるだろうか?」を意味するなら、答えはNo,である。しかし「ソブラエティにとどまることができるか?」を意味するなら、答えは明らかにYes,である。私は単純に次のことを実践すれば回復できる。飲酒の問題を自分より偉大な力、すなわち神と呼ばれる宇宙の神聖なる原理にお預けし、毎朝今から始まる二十四時間、ソーバーにとどまる力をお与え下さいと祈り求めることだ。何千、何万もの人の経験から、私が正直に回復したいと願えば回復できることを、私は知っている。

 私はAAプログラムに誠実に従っているか?

黙想

 神の導きに忍耐強く従うことが大切だ。正しく良いと思われることを辛抱強く忠実に実践する姿勢は、私のあるべき状態を私にもたらしてくれる。神の導きを振り返ってたどってみると、そのテンポはまことに緩やかで、私が神の思いを実践しその計らいを理解できる限界まで導かれる。私がそこまで歩んだとき、神はより明らかで確かな導きをお与えになる。敏感で素直な心に、神の思いは伝わり、導かれるのだ。

祈り

 正しいと思われることをする上で、忍耐強くありますように。私の受け止められる限界まで、あなたの導きのすべてを実践させてください。

ホームカミング社 「一日二十四時間」より


※私の独り言※ 大事なところは何度も言い換えられて繰り返されることが多いものです。「神が父であり私たちはその子である」というのも同じことのようです。別のところでは「神が主であり、私たちは従である」とか、またはステップ3の終わりにわざわざ「私の意思ではなく、あなた(神)の意思が行われますように」と書かれてあるのも同じことを言いたいのでしょう。私たちはステップ1やステップ2で謙虚さというものをある程度は学びました。けれどステップ全体の目的は私たちがよりよい謙虚さを身につけることだ、と書かれてあります。よりよい謙虚さとはどういうものか、ということをここでは述べているのでしょう。

要石となっていますが、謙虚さは確かに新しい生き方を身につけようとするときには要となる考え方です。それがあって、初めて私たちは自分の生き方をまったく新しく組み立てていくことができるのです。ここに書かれているように、ほかの11のステップがないと要となる石も機能しません。すべてのステップを実践しようとして初めて、凱旋門となる石がそろい、要となる石が役目を果たしてくれるのでしょう。



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山口、AA宇部グループ  Mike(マイク)


3月13日

聖霊の世界

 私たちは霊的な力の中に入った。次の課題はよりよく理解し、よりいっそう役に立つ人間に成長することである。これは一晩でどうなるという種類のものではない。生涯続けていくべきことだ。

アルコホーリクス・アノニマス 121ページ

「聖霊の世界に入ったのである」という言葉には非常に重大な意味がある。それは、始まり、行動、私の霊的成長を維持するための必要条件、私の中の非物質的な「霊性」・・・・・・これらの意味をすべて含んでいる。私の霊的成長を阻むものは、自己中心性と、言葉で表現できるものに中心を置く唯物主義だった。霊性とは、言葉で表現できるものに対してではなく、霊的なものに対して献身することであり、私のための神の意志に従うことを意味している。私が理解する霊的なものとは、無条件の愛、喜び、忍耐、思いやり、優しさ、誠実、自制、謙遜である。自分の中に利己主義、不正直、恨み、恐れを取り込むとき、私は霊的なものを自分の中から閉め出している。自分のソブラエティを維持している限り、一生のプロセスとして私は成長してゆく。私の目標は霊的な成長である。霊的な完成はあり得ないことを受け入れている。

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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行

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3月13日

 私たちは、飲み続ける本当の私でない私を捨て、ソーバーに生きる本物の私自身を取り戻した。放蕩息子が我に返って父の元に戻ったように、私たちは私たちの父である神に顔を向け助けを求めるのだ。この放蕩息子の物語の終わりに父親はこう言っている。「彼は死んでいたが、再び生き返ったのだ。失われていた彼が戻ってきたのだ」AAでソブラエティを見いだした私たちアルコホーリクは、まさに死から生き返った者たちなのだ。迷子になっていたが戻ってきたのだ。

 私は今、本物の生き方をしているか?

黙想

 自己中心的な思いから解放されるとき、私のスピリット(霊)は静かに神のスピリットの中に吸い込まれ、良い仕事をすることができる。言葉を変えて言えば、神が私を通して良い仕事がおできになるということを意味している。私は、私を通して流れる神のスピリットのチャンネルとなり、他の人々の生命に伝わる。私の能力は、私のスピリチュアル(霊的)な成長の限界にとどまる。私のスピリットを神のスピリットに調和させよう。そうすることによって、人間関係の中で私のできることは無限となる。

祈り

 あなたのスピリットのチャンネルとなることができますように。あなたのスピリットが、私を通して他の人々の生命に流れ込むことができますように。

ホームカミング社 「一日二十四時間」より


※私の独り言※ 私たちの通常の言葉の中からは、「精霊」という言葉はいささか外れているように感じます。このような場合には、私は自分に理解できる言葉に置き換えることにしています。「精霊の世界に入った」とは、「霊的な生き方をするようになった」でいいのではないでしょうか。それ以上のものが付け加わるようなら、そのようにしていけばいいのだし。どうしても、精霊のような宗教的な、またはファンタジーのような言葉を使う理由はあまりないのではないでしょうか。

それよりも大事なことは、「霊的な生き方」の方でしょう。霊的、というのはいつも議論になるもののようです。私もいったい何を意味しているんだ?どのようなことを言いたいのか?とスポンサーやグランドスポンサーを責め立てたものです。今になってみると、色が識別できない人に色を説明しろ、と無理な要求をしていたな、と思うのですが、それでも霊的な生き方をしようという意欲だけはあったから知りたかったのも当然でしょうか。

簡単に「あなたのしたくないことをすること」だと言われたのも、無理のないことでしょう。自分の欲望中心に動いてきた人生から、神の望むことに従って生きていく、などと言われたって納得できないですよね。とりあえず、自分が今までしてこなかったことをやり始める、そこから出発することが大切なのでしょう。



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山口、AA宇部グループ  Mike(マイク)

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