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2019年03月12日21:46

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今日は「学問の神様」大宰府天満宮に行ってきた

まだ、福岡にいますが、今日は大宰府天満宮に行ってきました。ここに祭られているのは菅原道真であり、「学問の神様」ということは知ってますね。

道真は摂政家の藤原家の出身ではないのに、宇多天皇に抜擢されて優秀な政治家として活躍したために、ライバルの藤原家に妬まれてでっち上げ事件で京からこの地に追放されて、ここで失意のうちに死にました。でも、その後、京と天皇家に災難と不幸が続いたので「道真の祟り」として恐れられて、神社を建てて慰霊したのが全国の天満宮の始まりです。道真が学歴出世だったので「学問の神様」なのです。


それで、学歴と勉強というとみんなも色んなトラウマとかあると思うけど、僕は中学校までは学校で「天才」とか言われていた。その後、進学校に入って成績が下がったで高校では「深海魚」状態になった。(苦笑)

でも、中学校まではテストの点数は80点以上だったので、友達から「勉強を教えてくれ」と頼まれたことがよくあった。そういう時に僕は必ず友達に、「お前のノートと教科書を持って来い」と言った。その人のの勉強ぶりを見るためだった。

それで、だいたい、成績が悪い友達のノートと教科書はキレイだったり、漫画が書いてあったり、流行歌の歌詞が書いてあったりした。僕はそれを見て、
「お前のこの教科書は何だ?俺の教科書は重要な点に赤線が引いてあるし、ノートは先生が黒板に書いたことは必ず書き取ってあるぞ。お前はそもそも勉強する気がないだろ?そんな人に、どうやって勉強を教えたらいいんだ?プロの先生の授業をロクに聞いてない人に、勉強の教えようはないだろ?まずは、授業をちゃんと聞いて予習と復習をするように」
と説教をするような嫌な奴だった。でも、僕が言ってることはある程度は当たっていると思う。(苦笑)

しかしこういう人たちは、社会に出ても仕事の仕方がわからなかったらいつも周りの人に「教えてくれ」と頼んで、その後は「お金を貸してくれ」とか言うのだろうか?それではいつまで経っても独り立ちできないだろう。だから、僕は勉強を彼らに教えたことはあまりなかった。それで、そういう友達とは進学高校を卒業する頃には疎遠になって、今でも付き合いがあるのは高校以後からの友達しいない。

僕の方は友達に教えて貰うのは悔しいので、「勉強を教えてくれ」と友達に言ったことはない。両親も、中学校からはあまり勉強は教えてくれなかった。東北大学法学部卒の父は、僕が中学時代は単身赴任をしていて家にいなかったし、母も進学高校の卒業だったが、「中学の勉強はもうわからないし、お父さんが単身赴任で忙しいから」と言って教えてくれなかった。だから、自分でやるしかなかった。

小学校の頃は父とはまだ一緒に住んでいたが、父に「勉強を教えてくれ」と言うと、いつも返ってきた答えは「墨汁を作っておけ」という、何とも不可解な答えだった。「勉強というのは、墨汁を作るところから始まる」が父の決まり文句であり、「文字は筆で書くものだ」と言うのが父の考えだった。戦前生まれで宮城県北の田舎町に育った父にとっては、勉強とはそういうものだったのだろう。だから父はすごい達筆で、年末には年賀状千枚ほどに筆で名前と宛名を書いていた。昭和40年代に生まれた僕には、とてもわからなかったけど。

それで、父は筆で字を書いてちゃんと教えてくれたのかというと、小学校の算数を中学高校生が使うような因数分解と2次関数を使って解いたので、子供たちにはわからなかった。
「それはまだ習ってない」
と言うと、父はこう言った。
「お父さんが知っている解き方はこれしか覚えてない」
「この教科書は東京書籍か。あの出版社は左翼だから嫌いだ」
「お前はお父さんが見たところでは優秀だから、別に、そんなに焦って勉強しなくてもいいよ」
とか言われて、結局、あまり勉強は教えてもらえかった。一方で父が得意な日本史、現代史、政治経済については詳しく教えてもらえた。まあ、昭和時代の父親なんてこんなもんだろう。(苦笑)

今の日本の勉強について言えば、日本の勉強方法は基本的に菅原道真の時代からあまり変わっておらず、先生が一方的に教えて生徒はそれをノートに書くだけ。これは中国の儒学の考えで、先生は「聖職」だから反論しないのがマナーらしい。でも、将来を考えれば欧米先進国のような議論とレポート型にするべきだと思う。今の日本は、道真の時代からは大いに変わったのだから。

写真は大宰府天満宮と、天満宮に行く時に乗った西鉄電車「旅人」。





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