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2019年03月12日10:18

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「反自然性としての農業」と 今

「反自然性としての農業」は狩猟採集の先住民の世界から見れば、「土地を所有する」有機農業も自然農法もひっくるめて農業一般を人類の失敗として批判出来ますがご存知のように増えすぎた人類は食を第一次産業の農業にに頼るしかありません。

それでも少ない100人ほどの部族共同体の中で何人かが自然農の百性になりそのほか大勢が種まきと収穫時に協力をすれば、食を得る事と作る役目も果たす事も出来て事足ります。

更にパーマカルチャーやビオトープでは、100年に一度洪水が起きる川原や原野をサンクチュアリ(神聖な場所:聖域)として人が無制限に入らない様にする場所として指定して有る考えです。
こうして人類が少なくなるなり居なくなった場合この聖域は、すぐさま拡大をして自然の復活をしていく事が分かっています。

分かっている様に、人類が今「反自然性としての農業」此の農業を捨てる事は、飢えを弱い者に与え死を強制する事に成る事は間違いありません。

「反自然性としての農業」を言うとき私はこんな話を友人から聞きました。
オーストラリアに旅人の日本人が日本からお米を持って行き米を炊きおにぎりを作りアボリジニーの所へ旅をしに出掛けた、昼頃になり日本人は誇らしげにそのおにぎりを出してアボリジニーに言うこんなおいしい食べ物を食べた事あるかいと聞いたと言う。
アボリジニーは、食べた事が有ると言う
旅人の日本人は、この食べ物はライスと言うと教えアボリジニーに何処で栽培しているのだと聞くと、アボリジニーは私たちはこの植物がどこに生えているかは知っているが栽培はしない。
何故栽培をしないかは、このライスと言う名の植物は手間が大変かかり面倒くさいし、必ず争いの元になる事も分かっているから育てないのだと言う。

便利こそ危険が付きもの
便利こそ 害
便利が時間の短縮
早すぎる事は危険が一杯

オーストラリアの一直線の道路の路肩に死ぬ幾つものカンガルーそして周りに広がる石油代替え植物ユーカリの林を見て旅行者(友人)が何でこんな世界が有るのかなのつぶやきでアボリジニーの長老が言った、「早すぎるのさ」この言葉は深い意味が一杯ある。
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