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2019年03月12日01:35

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企画展「横浜の野を駆ける―古代東国の馬と牧」のメモ

企画展「横浜の野を駆ける―古代東国の馬と牧」のメモ
・馬の家畜化は紀元前4000年頃、東アジアは中国殷墟BC14世紀から出土。→AD2C 朝鮮半島→AD4C 日本に鐙伝わる。

・朝鮮半島から日本
長さ10数mの船に数頭、船団を組んで運ばれる。

・古墳時代
豪華な馬具を副葬するのは豪族のステータス。→朝鮮半島で製作デザイン

→将軍塚古墳‥6c後半、大型円墳(出土した馬具が日韓両方のデザイン、二人埋葬されていた。)

→多摩川流域
・喜多見遺跡5世紀後半、百済の轡が住居跡から出土。
・狛江豪華な装飾具や馬具が副葬される。(移住馬飼のリーダーか?)大和王権に組み込まれる。

・律令国家をささえた馬
日本に急速に馬の需要が増えていく。「政のかなめは軍事なり」←天武天皇(皇族・官人に騎馬の訓練と馬具を整えさせる)
→刑法で定めるられる。
→交通・通信・・工事役馬・皮革・祭祀(さまざまな用途に使われる。)



・律令制度→牛馬・生産・育成牧場(左右馬寮‥牧の経営)
             ↑
          国家の重要事項 東国から宮廷へ「御馬」
牧長(管理者)・牧帳(事務長)・牧子(飼育係)
馬100頭を牧子2人が飼育
宮廷に卸す時は「官」の焼印を押す。

牧の運営→「兵馬司」(帳簿)
    →「左右馬寮」(飼育・調教)→(768年)藤原仲麻呂の乱がおこり天皇を守るための直轄の軍備の必要性が唱えられ天皇の親衛隊「内厩寮」が直接管理する牧が登場。信濃(16ヶ所)・甲斐(穂坂牧、真衣野牧、柏前牧の3ヶ所)・上野(9ヶ所)・武蔵(石川牧・小川牧・由比牧・立野牧の4ヶ所)
    


・武士の台頭
10世紀、朝廷行事である貢馬・駒索の儀に必要な頭数が揃わなくなる。
11世紀からほとんど儀式がなくなっていく。

牧の経営国府経営の行き詰まり→10世紀後半、現地の担当者が経営を負担。馬と鉄を掌握し弓馬の技術をみがき「兵」(職業戦士)になる。やがて「武士団」を形成。
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