小説の殆どが虚構の世界で「人」を表現している
私小説を覗いて殆どが書き手が経験した事や興味がある事
見た世界・憧れの世界等々
それらを活字にするのに一番大切な事は
先ずは「人物設定」と同じ位に「場面設定」も大切になって来ます。
殆どの書き手は「取材」して現地で自分の肌や感性でその土地をきちんと把握する必要があります。
この「取材」を怠ると、登った坂を本当なら下るのに又登るような事を平気で書いてしまう過ちを犯しやすいです。
又人物設定をきちんとしておかないと極端な例を言えば男女が入れ替わったり、年齢が数年経過しても年を取っていなかったり等々
何気に読んでいる本でもかなり綿密に計算されて
尚且つ読み手を意識して書くのが物書きと言われる商売
エッセイ集等は比較的「自己の体験」を表現するので書きやすい
しかしながらこれが小説となるとそうは行かない難しさが散財している
特に日本に居ながら外国を部分的に入れようとしてもネット検索やGooglemapで調べる位では済まない。
やはり現地へ行って「取材」しないと色々な矛盾が出て来る。
「本好き」な人の読み方の深さを侮ったら怖い!
大作家ならともかく
駆け出しの作家の多くはこの取材費用の捻出とテーマとの格闘。
だから大体始めは身近な事を題材にして書き始めている。
ちょっと古いけど「花火」はその良い例に想える。
もしMIXIで「違う自分」になりたいなら
「憧れの自分」になりたいなら
「虚構の世界」で生きたいなら
「取材」をしっかりする事をお勧めします。
晩年の川端康成先生にお会いするチャンスを頂いた時に…
「若いだけで素晴らしい」
「感性も敏感だからね」
と優しく語ってくれた言葉を思い出しつつ
後5冊書こうと思って居た小説に今日、又一冊加わった
でも、マイペース
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