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2019年03月08日05:34

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 雲水乞食坊主と言う言葉を聞きました事が有ります。

その自らの生き様をさらして(見世物にして)、踊り狂い祈るシャーマンが
大道芸人ギリヤーク尼崎だ。

生きる様を大衆に公にさらし、そこそ見世物にしてしまうのですからスサマシイのです。

関連して
乞食坊主に用はない?
https://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/040451efc311b23a024332ab46f599ca  から

『一休咄』

「一休が、さるお大尽の家に法事で呼ばれた時、
はじめ、汚れた雲水の格好で行ったら、「おまえの
ような乞食坊主の来るところではない」と追い返
された。次ぎに、正装して 金襴の袈裟を付けて
行ったら、「これはこれは一休殿、お待ち申して
おりました。さ、どうぞ奥へ」と。
そこで一休「わしは、先ほど墨染めの衣で来たら、
『乞食坊主』と追い返された。今、金襴の袈裟を
つけて来てみれば、『ささ どうぞ』と。しからば
私を呼んだのではなく、この袈裟衣に用があった
のでござろう」と、袈裟衣を脱いで 置いて帰って
しまった。

という話『一休年譜』には無い。似た話は『年譜』
では次ぎのようになっている。

応永29年(1422)、一休29歳。先代の言外和尚の
33回忌の法要が大徳寺で行われた時、各僧侶は
きらびやかな衣に金襴の袈裟を付け着飾る中、
一休ひとり、わざと、墨染めの衣にボロ布を
縫い合わせた袈裟をつけ、草履という格好で
参列した。

師の華叟が「どうしてそんな格好をしている」
と聞くと、一休は「みなさんの引き立て役です」
と答えた。華叟は「わしの跡を継ぐのは、風狂
だが、一休だ」と応えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ニュアンスは違うが、『年譜』のこうした記事から
上記の「一休咄」を創った戯作者に感心する。

ところで「一休咄」は、一休の“いたずら心”で
終わってしまうのだが、この話は、二つの受け止め
方がある。

一つは「人は着ているもの、見た目で判断しては
いけない」ということ。

も一つは「見た目で判断されるのだから、TPOに
応じた服装をすべきではないか」という反目心も
湧き起こる。「正反」含む話だ。これが、一休の
(普化禅)の「明暗双打」の真骨頂ではないか?。
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ピリカ・メム・ワッカ
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