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2019年02月28日00:07

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ミクシィの新たな船出に(41)(今、正直迷っています)

 ミクシィでの活動について何か迷っているというのではないのです。

介護のためのゆるい連帯(やがれ強力なものにはなっていくはずですが)を求めて、ミクシィにやってきて、そのための活動をはじめていますが、  それが 忙しくて停滞してしまったり、なかなか進まないのは、  最初から想定内のところでもあるんです。

時間がかかる作業、地道に一歩一歩進めていくしかないところがあります。

今 迷いに落ち込んでいるのは、 生き方の問題です。


老病生死の真っただ中、 どのように生きたらいいのかを教えてくれるはずなのが宗教です。

その根幹となるものを教えてくれるはずなのが宗教のはずです。

哲学が あらゆる学問の論理的基礎づけをするのに対して それも含めて 感性の部分の真実を教えてくれるのが宗教のはずです。

でも 世界中にこんなにたくさんの大学があり、 心理学も脳科学も 研究され続けているはずなのに、 誰もちゃんとした宗教改革をやってくれていないのが  私には不思議です。

疑問を越えて 不可思議です。  なぜ?  と思ってしまいます。

古代ナーランダ大学という 大学発祥の地でもある 仏教の起こりの世界は、今では、現代ナーランダ大学という 仏教を中心とした大学に発展しているのですが、 そんな大学でも  仏教や 日蓮の真実を誰も語ってくれていないのが 私には謎なんです。

あらゆる感性の真実は 言葉で表すとすれば、 南無妙法蓮華経の 7文字につきます。

人生哲学のすべてがそこにあります。

人類史の歴史の奥の真実がそこにあります。

それを こんな未熟な人間に過ぎない私が語らなければならないというのでしょうか?


世界中の あらゆる心理学の先生や 大学の哲学の先生たちが なぜ、何も この真実を語ってくれないのでしょうか?

たしかに そこには頭だけでは把握できないことというのはありますが、 ならばそういう先生たちは ほんとうに頭でっかちでしかないということなのでしょうか?

そんなはずないです。  結婚もされ さまざまな対話の機会を持ち、 子供たちを愛し、老人の経験を尊重し、 弱ってゆく体や 弱者たちをいたわり、 さまざまな人生経験の中を皆さん、生きておられるはずですし  そんなあたりまえの生活の中にこそしんじつがあるということも知っておられると思うのです。

こんな私以上にです。

神が存在するとすれば、神にとって罪は存在しません。 罰も何もないんです。 そんな基本すら 誰も語ろうとしてくれていないことが 謎です。

仏教についても  阿頼耶識が、無意識について語っていることについて(小難しい形をあえて作って語っているにすぎないのですが)、なら、

心理学者とかが 絶賛していますが、 それは 日蓮の教えのほんの表面の論理にすぎません。

法華経も、ほんとうはすでに幻想化されていて 権威化がおこなわれた後の文献です。

なので  そこに書かれている因果論は いかにも真実っぽいだけの偽物です。

日蓮が それでも法華経を採用したのは、そこに 真実の7文字が 解かれていたからのはずです。

法華経が 釈迦最後の 真実の教えというのは 別に史実を意味しているのではなくて ナーランダ大学などでの すでに権威化された文献の中での創作です。

なぜ、 一番大事なことを、誰も浮かび上がらせてくれないのでしょうか?

こんな愚痴をここで言ってもしかたないですよね^^。


でも、 何か悲しいというかなんといったらいいのか、、、 がっくりとしてしまうんです。

この たった7文字の、シンプルな言葉こそが 私の未熟さを いつも、私を叩きのめすように教えてくれている言葉ですし  前に進ませてくれる最大の宝物ですし、 謙虚であれるほどに パワーをもらえます。

なので、本当は ここをこそ まず、ここでも  大勢の人に伝え、そのパワーを分かち合いたいんです。

でも 今となっては それは 私自身が学者みたいに 日蓮についてもその後の歴史も含めて知り尽くしていないとダメみたいなのです。


仏教書がハチャメチャなのは仕方ないとして、 この日蓮に関する文献が、 シンプルイズベストの真逆となってしまっているからです。

どうしてこんなことになってしまったのか ひも解かないと、 どうやら 信者の人たちは盲目性から脱却できないし、 日蓮を信じていない人たちは真逆に 7文字の真実に謙虚になれない。 そんな構図が いつしか出来上がってしまっているかのように思えてきたんです。

これに 時間がとられるのはつらいです。

でも、 誰も言わないのなら 語らないのなら、 あるいは解らないのであるのなら、私がともかく 語り始めるしかないわけです。

このことは 実は、想定外のことでもあったのです。

ともかく、今、このことで 本気で迷っています。

正直に そのままの心を書かせていただきましたが  

なので、今日は ここまでとさせていただきますね。

悶々としていることをこれ以上書いてもしかたないです。


後は、一人静かに考えさせていただきます。


今日は以上です。         ・・・

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