「イスラエル(17)〜山上の説教が語られた場所〜」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/23(土)【1403】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19680 (写真入り記事)
イエス様が山上の垂訓(説教)を語った場所は、音響に優れています。天然の音響増幅効果があるのです。
離れた湖岸でひそひそ話していても、すぐ近くで話しているように聞こえることがあるくらいなのです。
聖書の時代には、今のような音響の設備はありません。どうやって、数千、数万人の聴衆に説教の声が届いたのか疑問に思うかも知れませんが、地形が大きな円形劇場のような形をしているので、生の声が届くのです。
こういう事実一つをとっても、聖書の記述が実話であることを証明しています。
「この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。』」(マタイ5章1〜12節)
古(いにしえ)のイエス様の説教の声が、時代を超え、国語を超え、場所を超えて、私たちのところに届いて聞こえてくるようです。
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