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2019年02月15日22:03

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あたまきたから、一切合切、あること、あること、

あたまきたから、一切合切、あること、あること、ばくろしちゃう、「テントないしょ話、実話特集「経済産業省脱原発テント、当時熱心に通っておりました。ほぼ毎日、週2かいの泊まりこみもやっておりました、仲間もずいぶんできました、文筆業をやっている専門担当者が書いているテント公式日記とは別に回覧ノート記録運動も独自にはじめてたんですね、ただ据わっているだけではのうがない、尋ねてきてくれる人に「原発、何故反対?賛成?」をテーマにノートに書き込んでもらう「運動」を独自にはじめました、詩でも短文でも俳句でもなんでもかまわない、自分自身の言葉になる意思表示、表現することが大事としてこれを始めました、最終的に大学ノート4サツになりました、途中途中、コピーしてそのつど、テントの仲間にくばっておりました、趣旨を理解してくれる人がだんふえてきて、それを材料に討議するチャンスがでてきました、一時期大事な記録資料として本に纏めたら、という声も出てきました、テントから資金をだそうか、と打診してくることもあった。どうも横道にそれてしまいました。そのころ福島に支援物資輸送をメイン業務とする、(9条改憲阻のかい提唱、福島行動隊のトラック乗り込み要員に志願参加していました、そんなある日、現地うけいれ支援母体(福島母と子のセンター、山下俊一ひきいる福島大学放射線医学部のいんちきにまかせられない、福島に放射線被爆専門の診療所をつくろう!)。これの発起人が、福島の中核派の女性医師、けん活動家Sさん。そして東京事務所の代表がわたしの直接の先輩、黒系無党派だった、改憲阻止のかい(新左翼、全共闘、オールドメンバーによる横断的護憲組織、当時原発問題を主要テーマとしていた福島支援のためには党派をこえてなんでもやろう運動)事務局長、母と子のセンター会計、福島行動隊責任者兼事務局責任者、こんな中テント指導部と母と子のセンター(9条改憲阻止のかい)が中核派の扱いをめぐって内部争いをおこしてしまいました(詳細は後述、このごたごたのあおりおうけて福島行動隊の原資が資金ショートする緊急事態が発生してしまった(これには注釈がひつよう、もともと母と子のセンターと提携してたのはテントの母胎であった、9条改憲阻止のかい、従って初期の福島支援活動は阻止のかいの主要メンバーで行われていた、会計も阻止のかい、からでることになっていた、2011.9.11、阻止のかいの主要メンバーによって)(その理念によって)産業省前テントが建てられた、阻止のかいのメンバーがそのままテントメンバーによこすべりした格好だ、阻止のかいじしんは会員の年会費で支えられていた、しかし金銭的に苦しい台所事情だった、そんな関係で、後、資金カンパが潤沢だったテントの会計から福島支援の活動費がでるようになった、この意味は大きい、政治的に党派(市民運動としてのテントから中核派の排除)問題

で対立していた、テント首脳部が福島支援のヘゲモニーを握ったことである、生殺与奪権、ヘゲモニー、を握った。しかしテント指導部と阻止のかいの政治的思惑(市民運動を標榜していたテント指導部、それに周囲を固めていた、大江、鎌田、落合恵子、などの脱原発ブンカジン勢の意向(阻止のかいの理念とあいはんする、市民運動イデオロギーげあった過激派排除の意向)をうけた、テント首脳部、中核派をどうするか、言い換えれば、中核派の出先機関母と子のセンターとの関係をどうするかの違いを巡って阻止のかいと紛糾、背景には金銭的ヘゲモニーを握っている市民運動の一翼でありたいとする、テント首脳部、たい、むかしの新左翼集団の理念をていした、金銭的なヘゲモニー争いに破れた(といってもテント内部人脈、阻止のかい人脈と純粋テント人脈との内部紛糾でもある)、しかしテント側の主流派はこの中核派、母と子のセンターとかかわるな、ということだった(’とうじテント公式ビラに中核系市民団体NAZENのビラが混入するというこ事件があって、それ巡る犯人探しがおこなわれるという騒動があった、よるのテントのなかで犯人はあいつだ、いやこいつが怪しい、どたばたを目撃した、そのご福島からきていた中核と目されていた女性活動家が姿をけした、たまたま、福島支援運動にかかわっていた自分はそのへんの政治的背景がさっぱりわからなかった、ただの兵隊だったので、福島支援をつづけることが金銭的に困難になっている、という情報を知るにおよんで、あわてて「ははと子のセンター代表、j代表事務局長o」名義のカンパを呼びかけるビラをかいて脱原発国会前集会後の人でにぎわっていたテントまえで配った、これが一部関係者の逆鱗に蝕れた。もちろん、背景にはさきほど説明した当該母と子のセンターとテント首脳部とのセクトあらそいがあった、センターのことは内部政治問題扱いとして、もちらん、人的にもテント内部の人的対立関係がげんにあったので、門外秘、ザラ場で語ることはタブー扱いだった、従って母と子のセンターの存在自体、一般的には、知らない人がオオかった、こんな中でで宮川がかってに金集めをやっている、名義人の母と子のセンターOなんて知らないし、でっちあげ団体に違いない、とされた、結局宮川個人が生活費稼ぎのために個人名義,別名「O]でやってる「カンパ活動とされてしまった、この考え方の背景にあるのは、ある政治セクトの幹部がカンパの私的流用で豪勢な生活をしているらしい、という当時よく知られていた風評が基礎にあった、さてこれから、当日きかされた、うわさの内容である、宮川は生活に困っている、だからカンパ詐欺をやってにげちゃった、けしからんやつ、べつの人の表現では、宮川は月に1000万円近く集まるテントへのカンパ箱を持ち逃げした、反人民的泥棒、みんな生活に困っていることからの類推思考がそういう想像をさせたのであろう、実際、テントには現金、貴重品はおいてはならない、という不文律があった、置き引き、かっぱらいが頻発していたという背景があったらしい、テント備品のパソコンが盗まれる事態が発生した、出入りしていたホームレスが犯人と断定されたその人は出入り禁止処分をうけたという、犯人とされたひとに後日きいてみたところ、犯行を否定しいる、しかし、いごテントへのホームレス出入りは原則として禁止となった、あるとき、テントメンバーと金銭の貸し借りがあって、現金2万円をテントでうけわたす必要があってテント据付のテーブルに封書にいれて、おきっぱなしにすることがあった、表に一金2万円在中Sさんへ、とかいておいた、そのことを知ったある人から、かっぱらわれるよ、そんなのここでは常識だから、やめなさいと注意されたことがあった、閑話休題、まあここまで(カンパ泥棒いわれているらしい、呆れるばかり。これをきょうしったのです、ひゃあ、ほんとかよ。っておどろきました、凄いことになっている、しかしね、テントにともに泊まり、めし、くそをした仲じゃん、よくそんな出鱈目いえるもんだな、、幾らなんでも。。唖然、、この辺のことをきょうは、めいっぱいツイーとしてました、正式にがんで余命がない代表が生きているうちに、責任をとってもらうべく、抗議文をだしたほうがいい、とアドバイスしてくれる人もいました、こんなの相手に文句いうのもばからしいきもあるんですね、ながながすみませんでした、このあと続編として名誉回復運動、ひとりでテント座り込み、4人がかりでの強制排除、弁明をもとめて運営会議でとりあげてくれるよう仲間にはたらきかけたこと、運営j会議で時間切れ多数決で否決、宮川がテント代表に謝罪文をかくこと、それおしないかぎり出入禁止処分撤回はありえない、一方的過ぎて拒否、決裂、っで、テントに行かなくなったこと。現在に至る、雪解けとして今日いったこと、(考察)、テント指導部と9条改憲阻止のかいの関係はメンバーがかぶっていてややこしい、ただしテント首脳部は阻止のかいでは主流派ではない、主流派の考え方は内げば以降の新左翼残党の党派横断組織である、他方テント派は市民運動メインストリーム、脱原発ブンカジンと歩調おあわせている(暴力を標榜している組織の排除このへんの違いが、特定党派と協調しているとされた福島支援行動隊の評価、それから,,細川、鳥越選挙での(脱原発運動を選挙運動に収斂させるな)テント内の足並みのみだれ、右翼を巡るテント執行部と一般メンバーとの対応の違いの原因なのっかもしれない。(右翼が襲撃してきた時、阻止のかいメンバーはからだはって戦った、しかし、テント代表は右翼に謝罪してしまった、あろうことか、たたかったひとを「はねかえり」として批判、つるしあげた、ときいている)当事者述べん、代表どうなっている?ありえないぞ。。権力、右翼とたたかった昔の仲間だろ、
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