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2019年02月09日10:58

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◎ 早春賦 ◎

「若さ」第473号
※ 四方山話 ※

◎ 早春賦 ◎

   2月3日は節分、明けて4日は立春でした。
 暖冬とは言え風は冷たく日本海側の雪景色を観ると「とても住めない」といった感じです。
 という私は豪雪地帯とまでは言えませんが、日本海側・福井県若狭で18歳まで暮らしておりました。
 今も懐かしく思い出すのは、雪景色を見ながら囲炉裏を囲んでの長い冬ごもり、そして雪解けの野道に芽を吹く蕗の薹や川風に揺れる猫柳が私の早春賦です。
 雪の無い関東に住んで半世紀を超えましたが、早春賦を口遊む時には雪深い古里の山河が目に浮かんできます。
 温暖化の影響なのか雪や冬の様子が変わって来たようですが、心に響く日本の唱歌「早春賦」について調べてみました。

♪早春賦♪吉丸一昌作詞、中田章作曲。大正2年(1913)発表。
♪早春賦♪

1.春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど 時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず

2.氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと思うあやにく 今日もきのうも雪の空 今日もきのうも雪の空

3.春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを いかにせよとのこの頃か いかにせよとのこの頃か

 吉丸一昌は、作詞の当時に東京音楽学校の教授で「尋常小学校唱歌」の編集委員代表として活動していました。
 吉丸は、大正の初期に長野県安曇野を訪れ、穂高町あたりの雪解け風景に感銘して「早春賦」の詩を書き上げたとされています。
 後に大町実科高等学校(大町北高等学校の前身)の愛唱歌として歌われていました。

 吉丸が安曇野を訪れたのは、旧制長野県立大町中学校(後の大町高等学校)の校歌・作詞の取材でした。
 大町中学校は、明治34年(1901)に設立されていましたが校歌が無く、明治44年の開校10周年記念に校歌が制定されました。 
 ♪旧制長野県立大町中学校校歌♪  吉丸一昌作詞、島崎赤太郎作曲。 明治44年(1911)制定・発表。  

 ♪大町中学校校歌♪ 
1.西に東に聳え立つ 山は不断の雲を吐き 南に北に流れ行く 水は狭間に華と散る 
2.楽しからずや山川の 清きを己が心にて 学びの窓の明け暮れに 文の林を辿るなり 
3.努め励めや謹しめや 伸びゆく国の平和は 吾が双肩にかかりたり いざや励まんもろともに

 旧制長野県立大町中学校(後の大町高等学校)は115年の歴史を閉じて、平成28年4月1日に閉校し、大町北高校(早春賦が愛唱歌)と再編統合され大町岳陽高等学校となっています。
 吉丸一昌は、他にも多くの校歌を作詞しております。
 〇 茨城県立水海道第一高等学校・作曲:南能衛。
 〇 東京都立両国高等学校・作曲:石原重雄。
 〇 静岡県立静岡高等学校・作曲:島崎赤太郎(県立大町中学校校歌も吉丸:島崎)。

 ♪静岡県立静岡高等学校校歌♪
 作詞:吉丸一昌(1873〜1916) 作曲:島崎赤太郎(1874〜1933)
 大正5年(1916)5月27日 制定。
 ♪静岡高校 校歌♪
 1.岳南健児一千の 理想は高し富士の山 八面玲瓏白雪の 清きは我等の心なり
   (公式行事では一番のみが歌われている)(気になる文言:2.至誠、義勇奉公、3.文武の
    道、4.御國の柱、大現神、など)。

 吉丸一昌(作詞家、文学者、教育者)は、明治6年(1873)9月15日、大分県(現・臼杵市)の下級武士の長男に生れる。
 明治27年(1894)大分中学校卒業(現・大分上野丘高等学校)、
 明治31年・第五高等学校卒業(熊本市・教授には夏目漱石、湯原元一、小泉八雲など)、
 明治35年(1902)東京帝国大学国文科卒業。
 明治35年(1902)東京府立第三中学校教師。教え子に芥川龍之介がいた。
 明治41年(1908)東京音楽学校(現・東京藝術大学)教授(国語と作歌)に抜擢された。
 明治44年(1911)から大正3年(1914)にかけて発行された文部省の著作「尋常小学唱歌」の歌詞編纂委員会の作詞委員会委員長となって以降は、本格的に作詞家としての活動に入りました。

 大酒呑みであったという生活がたたったのか心臓発作により、大正5年(1916)3月7日に42歳の若さで逝去しました。
 墓は文京区本駒込の龍光寺にあって早春賦の歌碑が建てられています。
 臼杵市の妻の実家に開館した吉丸一昌記念館・早春賦の館には、ゆかりの楽譜や遺品が展示されています。

 参考 : 吉丸一昌記念館 臼杵市市浜980 電話:0972−64−7130
 100年以上も前に作られた「早春賦」ですが、作詞・制作の経緯などを調べる中で、古里の早春や松本を起点に夏山の白馬、槍ヶ岳、上高地、作詞の舞台となった安曇野の清流などを懐かしく回想する機会となりました。

※ 今日は何の日 ※

9日 昭和11年(1936) プロ野球最初の試合。名古屋「鳴海球場」で巨人3−10名古屋金鯱(10日、11日は巨人の勝)。同年野球連盟設立。

9日 昭和45年(1970) 鉱石運搬船「かりふおるにあ丸」34,001総トン。房総犬吠埼東方(N35-10、E143-55)船首船倉破損・沈没。前年1月の同海域での事故(ぼりばあ丸)に続く。24人救助、5人死亡。

10日 明治37年(1904) 日露戦争 宣戦布告〜翌年9月9日、講和条約(米・ポーツマス条約)。

10日 昭和33年(1958) 「宗谷」第二次南極観測、10〜12日に第1次越冬隊西堀隊長以下11人と犬7頭を収容。着岸できず。苦難多く成果無し。

10日 平成13年(2001)2/10 愛媛県立宇和島水産高等学校 漁業練習船「えひめ丸」(499総トン)が、実習航海中ハワイ・オアフ島沖で米原子力潜水艦「グリーンビル」(6,927排水トン)に衝突され(急浮上)、沈没し教員・生徒・乗組員35人のうち9人が行方不明(平成17現在)となった。

10日 平成24年(2012)復興庁設置。大臣平野達男、事務次官峰久幸義。

11日 「建国記念の日」。以前は「紀元節」(1940 昭和15が紀元2600年)。

11日 弘化4年(1847)トーマス・エジソン誕生(米・オハイオ州)。小学校中退。発明王・白熱電灯、映画など1300の特許。昭和6年(1931)10月18日没・84歳。

12日 平成23年(2011) エジプト・アラブ共和国のムバラク大統領が辞任。首都カイロでの反政府デモに屈する形でム大統領が首都を離れ、スレイイマン副大統領がム大統領が辞任し、全権を軍最高評議会に移譲したと発表。ム大統領は30年に及ぶ専制的政権の崩壊には米、近隣国も賛意。

12日 平成25年(2013) 北朝鮮が3回目の核実験。昨年12月に事実上の長距離弾道ミサイル発射に成功。国連安保理は制裁決議・中国も賛成。

14日 天慶3年(940)平将門流れ矢に当たって死亡。(とあるが逸話・伝説の多い坂東の武者)。

14日 バレンタインデー。起源はローマ帝国時代(1300)に遡るという。家庭と結婚の神(すべての神の女王)「ユノ」が男女を結び付けた由来。

14日 昭和19年(1944) 「宗谷」の姉妹船「民領丸」(陸軍徴用)がマニラ港外で米魚雷により撃沈される。

14日 昭和31年(1956) 「宗谷」の南極観測船(巡視船PL107)として改造工事の入札で日本鋼管浅野船渠(横浜)に決定。

14日 昭和32年(1957) 「宗谷」第一次南極観測、永田武観測隊長が西堀栄三郎副隊長を越冬隊長に任命した。

14日 昭和33年(1958) 「宗谷」第二次南極観測、天候悪化第2次越冬隊員3人等を再び収容。資材20トンを放置したまま外洋へ脱出。

15日 昭和32年(1957) 「宗谷」第一次南極観測、西堀栄三郎越冬隊長以下11名を「昭和基地」に残して「宗谷」は帰国の途に就いた。「昭和基地」には、物資151トン(基地3棟、発電棟、食料、燃料など)、雪上車4台、カラフト犬19頭、猫1匹などが残された。

15日 平成16年(2004) 「北朝鮮工作船」公開終了(15.5.31~)小泉総理や石原都知事らが視察。見学者1,626,299人。2/25横浜へ移送。

15日 平成16年(2004) 北朝鮮工作船の公開終了。(見学者延べ総数1,626,299人、警備巡視船等延べ31隻(5/31〜11/18、第4.8.9.11管区を除く7管区から交替派遣・水産庁桟橋使用。以後は機械センサー警備)。

15日 平成25年(2013) ロシア・チェリャビンスク州に隕石落下。大気圏で大爆発(昼間の落下で多くの記録写真)。負傷者千数百人。住宅等破壊。

15日 平成26年(2014)ウクライナ政変(2月27日)。南部・黒海側でウ政府軍と反政府軍(露軍)が戦闘。27年2月、ウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスが停戦合意。27.2.15.〜停戦実施。

※ 季節の句 ※

               水仙や  背戸は月夜の  水たまり       成田蒼虬

               鰤起し  大佐渡小佐渡  灯の見えず     須田久男

               松風や  夜陰の庭へ   鬼は外         若さ

                                            「若さ」第473号  








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