「家族の愛」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/2/3(日)【1383】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19606 (写真入り記事)
今日は、次女が中学生の「東京駅伝大会」に出場します。東京の各市区町村の代表者が出場してタイムを競います。
もし先頭集団を走れば、TVの生中継が入るため、走る姿をTVで見られるかも知れません。
残念ながら、私は教会で神様を礼拝しています。(娘は、夜礼拝します)
気がついたら、娘はスポーツ少女になっていました。バレー部のキャプテンをしながら、陸上の大会に出て走るなんて不思議です。
先週は、インフルエンザで倒れて寝込んでいました。やっと金曜日にから学校に行けるようになったばかりなので病み上がりで心配です。
今のところ、うちの家族でインフルエンザになったのはこの子だけです。守られて感謝です。
家が広ければ、一室に隔離するという家庭もあるそうですが、うちは一つの部屋、一つの空間でみんなが過ごしているので、一歩間違えたら全員がインフルエンザですが、すぐにマスクをし、手洗いやうがいを徹底しました。
家族とは、その意味においても運命共同体です。
私は、早朝から起きて、娘とその友だちを車に乗せて、集合場所まで行って来ました。
家族のためなら犠牲を払うことは当然ですし、それを犠牲とも考えません。
血のつながった家族だけではなく、地域や国、そして、世界が一つの家族と考えたら、すべてが変わると思います。
もちろん、家族だからそれですべてが解決するわけではありません。
兄弟喧嘩や夫婦喧嘩など、身近な関係ほど激しいいがみ合いをすることがあります。
そこに必要となるのは愛です。
聖書によれば、その愛は人間にはなく、神から与えられると書かれています。
神は、その愛をひとり子イエス・キリストを通して与えられ、その愛を受け入れる人に与えらます。
当たり前なことですが、その愛を拒絶することもできます。
神の愛が無条件で一方的なのに、信じる人にだけ与えられるのはそのことが理由です。
神は、人間の自由意志を尊重されるので、無理やり愛と救いを押し付けることはありません。
そして神は、手を伸ばせば届くところに愛を与えられました。それは、世界中のすべての人に与えられています。
しかし、それを知らない人がいるので、私は伝道しているのです。
クリスチャンは、その愛を知って、それを受け入れた人たちです。
人には何も、誇れるものはないのです。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8〜9)
赦され、愛され、受け入れたという経験をした人に対して、神は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と教えられるのです。
隣人愛の基本はそこにあります。
クリスチャンになったら、自動的に愛の人に変えられるのではなく、まずは、神の愛を受け入れ、それを味わい、体験することです。
それから、愛を実践していくのです。
最初から、優しくて、愛を実践しやすい人もいますし、愛からほど遠い人もいます。
人が変えられるためには、一生という時間がかかります。
クリスチャンでも、ひどい人はたくさんいます。しかし、その人がクリスチャンにならなかったとしたら、もっとひどい人だったのです。
だから、「クリスチャンのくせに〜」という議論はやめましょう。
それよりも、そんなひどい人をも受け入れ、愛する神の寛大さに目を向け、「この私をも救って下さって感謝します!」と、神の愛に感謝をしたいものです。
悪魔は、争い、憎しみ、テロ、戦争をさせようと躍起になっています。
現在は、悪魔の働きが功を奏しているようにも見えないことはありませんが、悪魔は敗北者です。
必ず神の愛が勝ちます。神の愛を信じる人は救われます。
確かに、この世界は段々悪くなっていますし、これからも悪くなっていくと思います。
しかし、この世界には終わりの日があります。
一つは、あなたの死ぬ日です。そして、もう一つは、この世界全体が終わる日が来ます。
それは、私たち人間の救いなのです。
神の愛は、今も広がっていますが、この世界という枠だけではなく、永遠に続くものなのです。
永遠の神と共に、神に愛されていることを味わい、その愛を広げていきましょう。
今日の説教のテーマは、家族です。
その説教を語るのが楽しみです。
神に愛されたように、自分を愛し、妻や夫、家族を愛し、その愛で、すべての人を愛していきましょう。
世界平和は、政治運動から起こるのではなく、あなたから始まるのです。
今日も、ステキな一日でありますように。
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