なんと、なんと、昨日のお休みの前に、 2日間 抜けていますね。
すみません、「入力内容を確認する」のページから「作成する」のボタンを押していで閉じてしまったようです。
それだけ 遅くなって、早く寝たい気持ちが その焦りを生んでしまったのかもしれません。
これはネット不慣れというより、人間が 焦ってますね"(-""-)"。
ここは、まだ ミクシィ活動のビジョンの出発点なんですから、もうすこしゆったりと落ち着いて出発してゆくべきです。
人間がまだできてないんですね。
そのせいで罰が当たったのか、 予定では こんどこそ本格的にカラオケボックスに行き、歌のYOUTUBE動画を撮ってくることになっていた 土日に、また仕事その他の用事が入ってしまいました。(きょうも仕事もおそくまでかかりましたし)
ただ、 めげてはいません( `ー´)ノ。
なにがあるかわからない人生、 それなのに、 きょうもまだ死んでいないではないですから^^♪。
すべて、どんまい、どんまいです。
三日前に 時計の針を戻すのみです。
ゆっくり進んでゆきましょう。
何か変ですが、たぶん美空ひばりの歌の紹介の次なので、きょうは 船村徹「兄弟船」についてまず 書きます。
認老ゲンキニ君の歌
とコピペして検索すれば、私の歌のシリーズが出てくる中の10番目、
認老ゲンキニ君の歌(10)「兄弟船」 の 私からの解説です。
(すみません、これも失敗なんですが、(11)としてこちらの紹介した「柳が瀬ブルース」は これも同じ形で 最後に人手順落としていたためアップされていませんでした。
これだけ 痛い目に合えば、すこしは直ると思いますし、そのつもりでいますが・・・^^)
「兄弟船」は、鳥羽一郎で有名になった歌ですが、鳥羽一郎の歌はほとんど聞いていませんでした。
今さっき聞いてみたら、さすがとてもいい歌い方をしていますね。
わたしが聞いていたのは 船村徹のCDからのもの、 これを私流にアレンジして歌ってみたものです。
でも、この歌もまだまだ進化させるつもりなのです。
なぜなら、この歌こそ 母を看取った私自身の介護の心と重なるものを感じる歌だからなのです。
これが 認老ゲンキニ君の「兄弟船」の歌だと言えるところまで、何度でも何度でも挑戦し続けるでしょう。
介護のための 緩やかな連帯を求めてミクシィ二やってきたわけですから、この歌についてもし解説するなら それなりに長くなるかと思いますが、 ここは、もう少し進化した私の歌を実際に聞いていただいてから、 ちゃんと詳しく書いてみようと思うのです。
すべて ゆっくり行きましょう(^^♪。
日曜日の夕方に少し時間が取れるかもしれないので、もしカラオケに行けたら 順序としては 美空ひばりの「みだれ髪」と「ひばりの佐渡情話」の二つに集中させていただくことになるかと思います。(「兄弟船」は また歌うかもしれません。すべてこのへんは船村徹がらみですからね)
沖縄の歌は つぎの土日になってしまいそうです。
癒しの歌を ということでしたが、 今週中には無理のようです。
恋の歌も、癒しの歌でもあるんですけど、 「島人の宝(しまんちゅーぬたから)」などは、歌うほどに そのへんの奥深さを感じさせられる歌ですから。
きょうは歌については以上です。
わたしの幸せ論のつづき 第3弾、 (も もういちど、めげずに書きます( `ー´)ノ)
↓↓↓
人間の自我を、どんな圧力をかけてもとても割れそうにない卵の殻に例えて説明し始めたわけですが、 その中身は 白身と黄身の普通の卵として描いていたわけです。
そのとても割れそうにない、かわいくない固い硬い堅い卵^^の内側は さらにその中心に向かって強力な求心利己エネルギーが引っ張っているので
かわいくないどころか^^、始末に悪いのが この辺の人間の本性の世界なんですが、
「幸せ領域」と名付けた黄身の領域に、その利己エネルギーが入り込むと、そこからは逆の外側に向かう←←も生まれると書きました。
自分だけでなく 他の人への関心が生まれ始めるところなんです。
他の人への関心といっても、
白身の段階では、実は、心にはまだほんとうの他の人への関心の様相は生まれていないのです。
頭がいい人なら、 計算ずくで 他の人のことをさまざまに考えたり、また他の人のための善い行いとかもするわけですが、それは自分自身が信用されで自分自身が生きやすくなるためだったり、よく思われて楽したいためだったり・・・、とすべてが結局自分自身の利己エネルギーの域を出られないのです。
医療関係の人でも 他の人のための実際には尽くしながら、黄身の領域 「幸せ領域」が薄いと、 むしろ苦しむ人さへいます。
目の前の行為の意味を見失ってしまい、こころには、同時に希望も失われ、前に進む心まで失ってしまうのです。
例え、利己的であっても、まずは、自分自身が癒される必要があったりするのです。
この幸せの領域の中に、利己エネルギーがはいりこむことで、やっと まだその最初にはそれと心づくことさへなかったとしても、 まさに無意識的には、 他の人へのほんとうの関心が芽生え始めるんです。
うれしいことがあると人に伝えずにはいられなくなる、という人情の世界がその辺を物語っていると思います。
考えることではなくて、自然にそういうエネルギーが生じてくるという事なんです。
その卵のさらに中心に向かうほどに 利己エネルギーももちろん無くなるわけではなくても、そのぶん 外側に向かうエネルギーも大きくなっていきます。
どうせ、この卵は 殻が割れないのですから、 食べられません。
ついでに もう少し奥深いところの 卵の中心部に、もうひとつの円をえがいてしまいましょう。
太陽のような熱い熱い明るい赤い円が その中心部には燃えていると思ってください。
知性は 人への関心と熱い社会性であふれ、そこからは 強力な磁気エネルギーならぬ,慈気エネルギーが放射されているのですが、
なんとそれは、表のあの、固い硬い堅い殻を
いとも簡単に すうっと 突き抜けてしまう 矢印エネルギー
← | ←←←←
が出ているんです。
それが 幸せの持つ力なんです。
熱い熱い もはや、嘘が混じらない「まごころ」の世界です。
では、その幸せの正体ってなんなのでしょうね。
今日は以上ですが いよいよ、この「幸せ論」もその核心へと向かっていきますね。
では、きょうは、ここまでです。
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